自己紹介 挑戦大好き人間 田川 進の部屋 この度、熊野さんのご好意に甘え、ホームページに登場した<田川 進>です。氏名の頭に <挑戦大好き人間>を付けました。これ何?と思われた方が多いと思います。私自身を語る とき最初に<先ず挑戦ありき>です。自己紹介を兼ね挑戦に対する私の考えを説明していき たいと思います。
若いときから<見てみよう。やってみよう>が好きでした。何でもこいの初物食いではありま せん。私の挑戦にはなにか運命の糸に引っ張られている感じがします。必然的なものが必 挑戦の前に現れます。そして挑戦意欲が高まるとそれに着手しなければいたたまれない、 落着かない不安感苛立ちがあります。
元来<想像すること、創造すること>が好きだった私は感動はすぐ散文、自由詩で想像の 世界を散策する癖がありました。また一面、博物館・美術館めぐりが好きだった私は芸術、 特に陶芸が好きでした。あれを書きたい。これを造りたい・・年齢と共にイメージは様変わり しましたが、挑戦意欲は衰えることなく持ち続けました。しかし悲しいかなサラリーマンの身、 自由になる時間が少なくあれを 書きたい、これを造りたいの意欲は常に中途半端で挫折し 消化不良になっていました。そのじくじくした気持ちは定年後の人生、24時間自由に使う ことが出来る定年後の人生に賭けようと思った時やっと解消され定年を指折り数えて待ち ました。晴れて定年を迎え<想像すること、創造すること>に気兼ねなくのめりこんだ時在 職時持っていた一途な気持ちがなんだか様子が異なって来ました。<あれもしなければ ならない、これもする必要がある>と思い込み、気が付けば新しいジャンルに次々と手を 染め、足を踏み込んでいました。
24時間、全て自分の時間―60歳にして手に入れたこの快挙、途方もない宝物を得た 気持ちが心を大きく寛大にしたのでしょうか、あるいはこれが禍いしたと表現すればいい のでしょうか。
挑戦は牛乳パッククラフトが出発点です。若いときは文学の世界に遊んでいた私は物を 作ることは全く縁がない人間でした。ところがある日ある時、リサイクル・地球・公害・・と いう突拍子もない言葉が予告なしに想起され、目前にある飲み終えた牛乳パックに釘付 けされ、このパックに私と同様もう一つの生きる道がないのだろうか?有る筈だと考えま した。牛乳パックにハサミを入れ広げたり押し込んだりしました。そして偶然にハサミの 入れ方、折り方に基本ルールがあり、基本切り、基本折りを繰り返すと筆立て、コースター と様々な箱が出来ることを知り、また二つ三つを組み合わせるとマガジンラックやテッシュ ペーパーケース、くず入れになることを見つけました。私はこれを<牛乳パッククラフト> と命名して1冊の本にまとめました。 この牛乳パッククラフトを成功させた事が必然的に次の挑戦を呼びました。
牛乳パッククラフトの次はパックの残り紙のポリエチレンをはがし、パルプのみを取り出 した紙漉きです。紙漉きはすでに一般化しているので人と違った紙漉きが出来ないかと 考えました。紙漉きの途上で手を加え能面つくりや財布が出来るのではないかと挑戦し ました。成功のキッカケは紙おむつ、紙タオルです。不織布という化学繊維が発達し自重 の何倍かの吸水力があることを知りました。この記事を読んだとき、紙漉きの乾燥は 日光や熱のみに限定することはない。乾燥に吸水乾燥があってもおかしくないと感じ紙 おむつ、紙タオルを利用しました。能面の微妙な凹凸目じりのしわは元面にかぶせた 漉き紙から忠実に紙おむつ、紙タオルが吸水して再現していきました。吸水乾燥の成功 です。次はパルプの繊維と野菜の繊維の違いをはっきりさせたいと野菜の繊維素のみ を取り出し、野菜の紙漉きへと手を広げました。玉ねぎから透き通った紙、にんじんから 茜色の紙が出来、興奮しました。数々の紙漉き枠の制作、紙質を丈夫にするこんにゃく の粉や渋柿の購入に走っていました。二番手で紹介するセイタカアワダチソウと枝豆で 作った陣羽織は自慢の作品です。挑戦の二番手は紙漉きです。
三番手にのめりこんだのはヒョウタンでした。紙漉きの際、紙の間に入れる押し花や 篆刻模様から絵に興味を抱き、絵をを勉強するなら陶器に直結する器で勉強しようと思い ました。ヒョウタンの曲線胴回りのふくらみは陶器に通じるものがあることに気付き、私は 近所のヒョウタン名人に教えを受けました。今ではヒョウタン栽培から収穫まで一連の 作業をこなしています。私の<想像すること、創造すること>の底辺は陶芸が流れて います。言うならば陶芸を続けるため、陶芸をより一層深めるための方便として次々と 挑戦したのかもかもしれません。
ヒョウタンから竹炭(花炭)へと変遷しました。私の変遷は不思議な出合いがありま した。当時は竹炭の効用が大きなブームになり、竹炭の消臭効果、殺菌効果を日常 生活に取り入た商品が多く販売されていました。 私は細長い竹炭を容器に入れる より、人形など面白い形にすれば目の保養になるし楽しさが増えるはずと思うように なりました。炭による作品は<花炭>という名称があることを竹炭の名人から教わり ました。そのとき納屋に一杯収納しているヒョウタンに気が付き表面積なら負けないぞ と思いました。 しかしこれから炭焼き窯を作ることは資金面、時間的に無理です。 そうだこの陶芸窯を利用できないかと考えました。発想の転換です。要するに陶芸の 炎が入らない仕切りを設ければいいだ!の 開けると焼物と真っ黒い詳細は第四段 の<竹炭(花炭)>でお話しますが、今では成功して陶芸の窯を竹炭が出てきます。 四番目はヒョウタンにのめりこんでいきました。
不思議な出合いとは竹炭に挑戦しようと思った時、偶然に友人から竹炭焼きの名人 を紹介され窯詰め焼成方法等を教わりました。私はそれを陶芸窯に応用したに過ぎ ません。ヒョウタンも同じです。書店で色々本を購入してきましたが、なかなか理解でき ませんでした。そんな時偶然お祭りのとき、ヒョウタンを展示されている方を知り尋ねる とご近所の方でした。毎日のように通いました。お陰で大した苦労もなく 目標に近づき ました。挑戦を決意したとき不思議にその道の達人に出合うこと、秘法を教わり目標に 達する筋道が見えてくると、私の人生訓で述べます<道と目標>、まさしく一衣帯水です。
今竹炭にのめり込み、色々な作品を手がけています。竹炭の次は何に挑戦するか判り ません。一年後になるか二年後になるか判りません。その間、底辺を流れている陶芸、 <陶紙工芸>と<陶土工芸>を紹介していこうと思っています。全部で六つの挑戦の紹介 です。
家内や親戚は<あっち、こっち手を染め、中途半端、浮気性、消費性>との批判ですが、 私にとっては必然の派生事です。これらのジャンルに手を染めなければ<想像すること、 創造すること>は挫折したでしょう。 24時間が自分のものになった時のあの感動を持続し、 それを具体化、実現化することで新たな生き甲斐、喜びは生じなかったと思います、でも身は 一つです。新しく挑戦したジャンルは何をもって終わりにするか!どこに節目をつけ、どこで 次の挑戦を受け入れるか! 見切りが必要と考え、私は私なりの線引きをしました。 まず作品展の開催、あるいは自分が納得する基本的な技量が確保された時点を一区切り にしようと思いました。牛乳パッククラフトは1冊の本にまとめ、紙漉きは作品展と講習で 一区切りをつけました。ヒョウタンは会館、ロビー等で数回展示会を催し批評を戴きました。 今挑戦しているのは竹炭(花炭)です。初めて今年の秋、竹炭とヒョータン炭が競合した <招き猫>と<河童が引く花車>を作成して文化祭に出品しました。
料理とは縁遠い私ですが、日本酒大好き人間の私は酒肴との関連で料理に少し興味 があります。特に日本料理には<隠し味>というのがあって、日本酒も時々登場します。 料理には個々の材料・素材の美味しさ、品質が大切である事は当然ですが、個々の素材 の持ち味を濃くしたり薄めたりして味を深めるのが<隠し味>と思います。素材の本来の 持ち味を生かしつつ食人の舌をうならせるのも<隠し味>のなせる技ではないでしょうか。 化学でいう触媒。酵素の役割に似ています。 何故ここで<隠し味>を持ち出すかと言うと紹介する六つの挑戦、私にとっては一つ 一つ新鮮な感覚で対峙していますが、一方微妙な関連性もあります。新たな挑戦は自分 が納得する結末を持って当っている私にとっては、切り札は私なりの<隠し味>が持つ 意味は大きいです。それは自分なりに成功させたという自負心で、これを私の<隠し味> と表現したいのです。 スローライフで第二の人生を疾走しようと決めたとき、ゆっくりでもいい、人と人との出会 いを大切にし、その中から人生を創造発展させるものがあれば拝借して手作りの第二の 人生を仕上げたいと思いました。拝借と仕上げに<隠し味>という選択肢が入り込み、 成功への意欲と勇気に変換させたと思います。料理でいえば新たな旨みのハーモニー の生み出させたのが<隠し味>と理解し、第二の人生にはなくてはならないものでした。
自分であって自分でなかったサラリーマン世界を卒業して誰の印鑑・誰の許可も必要と せず自らの責任で行動できる今の自分を大切にしたいです。スローライフでも構いません。 納得する人生を歩みたいです。牛乳パッククラフトから始まり現在竹炭焼きに挑戦して いる私、熊野さんからお話があったとき、ここらで一休みして私なりの<雑煮の旨み>を 披露し、同時にそこから生まれた私の人生訓を登場させ、襟を正して他人に問うのもいい 機会だと感じました。竹炭に至った道のり、途上の作品は独立した作品として評価され なければなりませんが、最終的には私自身の人生の糧として、私自身の人生の一里塚 として第二の人生を総括するものとして存在させたいです。途中の作品は雑煮の具と 認識しています、具として素材の評価も大切ですが、一連の作品を紹介し終えて、今度は 雑煮として旨みはどうか! そこに生きてきたそして現在に生き、更に生き続ける力強い 新しい喜び新しいハーモニーが奏でていたら私として最高です。またそれが自分の生き方 を価値あるものにすると思っています。
世間には私のような芸術の域ではなく、他のものに挑戦されている方も多くおられると 思います。しかしその挑戦の数が多ければ多いほど底辺に流れている挑戦意欲は横に 置き、浮気性、中途半端、浪費家と批判されるのが世の常です。自らの弁解もありますが、 自分らしい幸せ、自分の真実は何かを探す為の方策として種々の試練から体感するのが 最短と感じます。熊野さんのホームページの登場は絶好の機会と判断した次第です。
熊野さんのHPに二ヶ月に一度、奇数月にお邪魔します。牛乳パッククラフト→紙漉き →ヒョウタン→花炭→陶紙工芸→陶土工芸 の順でユニークな作品を紹介しながら お邪魔します。約1年間のお付合いになるかと思います。 どうか皆様のご教唆、ご高配 を承りたくお思います。メールアドレスも併記します。 ご意見下さい。 よろしくお願い致します。
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