<陶紙との出会い>    

      

         <陶紙との出会いー新聞のコラム欄>

   陶紙との出会いは20数年前になります。新聞のコラム欄に紙と土を混ぜた<陶紙> 

   という材料が発明されたという記事を読みました。折ったり、曲げたりすることができ、

   これを焼成するとユニークな焼き物が出来ますという記事でした。陶芸は若いときから

   好きで美術館等によく通い、こんな作品が出来るだろうか?こんな形が出来たら面白

   いだろうなぁと一人で空想の世界に遊んでいました。その空想の中に土を編んだり、

   結んだり、折り紙にしたりが入っていたのです。思わず陶紙の記事に釘付けになり問

   い合わせをした次第です。当時の新聞記事を大事に大事に収納し陶紙との出会いを

   お話しするときお見せしようと思っていましたが、今回、肝心なときにありません。した

   がって出会いの正確な時期は不明ですが、この陶紙の記事はこれまで焼き物は見る

   側と決め込んでいた私を作る側に連れ出しました。私を趣味の世界に誘い込んだ張

   本人になったのです。私の人生を180度変化させました。陶紙は当時世間には知れ

   渡っていません。本部に連絡しました。奈良に一人だけされている方がいるという心

   もとない返事でした。その方との交流から大阪で焼成方法等教えてくれる場所がある

   こと知り、私ははせ参じた次第です。仲間が数人いました。しばらくして私も電気窯を

   購入して本格的にのめりこんでいくことになります。

      

        <陶紙に何ができるのか?>

   当初は<折り紙陶器>とも名づけられ、折り紙の手法で鶴を折り焼成した<鶴の箸

   置き>が主流でした。その後会員数も増加し、各地で教室が開設され技法もどんど

   ん改良開発されていきました。折ったり、曲げたり、植えたり、切ったり、編んだり・・

   これまで土では不可能とされていた技法が可能になりました。マニュアルも完成され

   ました。1年に1回、常時展示場も確保され、全国から実にバラエティのある陶紙作

   品が披露されました。私も得意になって忙しい在職生活であったにもかかわらず自

   由になる時間を捻出しては作品つくりに奔走しました。作品はいろいろ出来ました。

   ‘86年西宮で<白鶴陶芸コンクルール>が開催され陶紙で作成した<酒パック>が

   佳作に選ばれ表彰されました。陶紙に油が乗った頃です。

      

         <‘89年 伏見桃山城での展示―そして陶紙への不和感>

   根本的な<土>と<紙>の宿命的な違いはどうしても残ります。土の豪華さ、重厚

   さ、釉薬による窯変は陶紙ではできません。それらを認めた上でも陶紙と出合った

   感動、驚きとどうしてもしっくりいかず、何か違うように思えたのです。そんなもやも

   やとした思いを抱きつつ仲間と作品つくりと展示に明け暮れていました。最高だった

   のは、京都伏見城の天守閣を借り切りグループと展示会をしたことです。伏見桃山

   城は観光バスのコースになっていた関係上、毎日多くの観光客が来られます。私の

   <利休七つの蓋置き>は天守閣の階段を上った正面ケースに飾られていたので目

   につきやすく、多くの方に見ていただき多くの賛辞を得ました。私自身も友人知人に

   声をかけ見てもらいました。しかし伏見桃山城の展示を最高潮に、それ以降は感動

   することなくもやもやとしたものが高揚し、陶紙からゆっくり遠ざかるようになりました。

     

        <水琴窟の再現>

   陶紙との出会いで芽生え、狂喜したあの感動の原点に戻り、陶紙について考えまし

   た。折る、曲げる・・それは素晴らしいこと、これまでの陶芸感を根底からひっくり返

   すこと、その点は認めますが、もう少し何かできるのではないか?引っかかります。

   <お前は陶紙という材料で何をしたいのか!>という事を自問自答しました。宿命

   的な<土>と<紙>の違いを基底に、土と見劣りしない作品が出来ないかと考えて

   いるのか!そうではないのです。折る。曲げる以外にまだ陶紙の魅力がある筈です。

   何か私に訴えているように見えました。

   陶紙は磁器質です。半磁器の焼き物に似ています。作品は土のように重厚な音で

   なくキ〜ンという歯切れのよい響く音がします。陶器に比べ釉薬をかけても接着状

   態により水漏れがします。私は長所、短所を書き出し会員と距離を持ち、陶紙本部

   とは違った陶紙の作品を模索しました。そんな時、またショックな新聞記事に出会い

   ました。昭和62年2月22日「明石の武家屋敷跡に水琴窟が出土」という記事です。

   茶室を優雅な音で囲む、幻想的なもてなしをする水琴窟、制作方法は戦争で散逸

   し誰もわからず、幻の水琴窟とされていました。その水琴窟の出土・・その新聞記

   事を片手に・・・水琴窟の音、陶紙の・・・伝統的な水琴窟の技法に近代の陶芸材

   料―陶紙―との競合、歴史のいたずら・・新しい水琴窟、私は寸時そのようなイメ

   ージを描きました。ピ〜ンポ〜ンという伝統の技が織り成す音と磁器質の陶紙の

   音が茶室を取り囲み、その音を聞きながら南部鉄瓶から漏れる湯沸しのキ〜ン

   キ〜ンの音とともにいただくお茶の雰囲気を想像していました。唐突な私のイメー

   ジはいつもこうです。そしてその後は猪突猛進です。

   陶紙の音を楽しむーこの唐突な発想を具体化したい、水琴窟の黄金分割、水門の

   広さ、水門と水面までの滴下距離、水甕の幅と滞留水の水深、水門の広さの比率

   更に甕の厚さ、これらの比率が水滴が水面に落ちるときに発する音を拡大させなが

   ら水門に導き、水門から60〜70デシベルの音を発生させます。黄金分割の比率は

   資料で確認しましたが、困ったのは水門に拡大させながら導く甕の製作です。薄い

   ほど音の伝導率・拡大率が高くなることは分かっていますが・・陶芸には素人の私が

   いきなり薄い甕の制作に取り掛かりました。半年間は作っては壊れ、窯に入れては

   壊れそれは大変でした。何とかして出来た甕の内側に陶紙を貼る作業です。婉曲に

   なった甕の内側に陶紙を厚く貼る、このときに威力を発揮したのが粉状陶紙です。

   粉なので歪になっていても問題ではありません。粉状陶紙を甕の内側に貼るという

   より塗りつけました。甕の埋め込みは専門の業者に依頼しました。

   工事完了です。私が一番最初に招待して音を聞いていただいたのは目の見えない

   盲目の方です。水琴窟に耳を当て<インドの打楽器を聴いているようです>と置石

   の上に長い間たたずみ、うれしそうに微笑みを浮かべ聞いていただきました。本当

   にうれしかったです。長い間苦労して制作した甲斐がありました。公共のところで水

   琴窟は復元されていましたが、個人では私が最初と聞き、新聞に報道されました。

   当然陶紙の水琴窟は誰も作成していません。永久に残したい、録音したいとプロの

   方が見えられました。陶紙という新しい陶芸素材に出会わなければ成就しなかった

   出来事です。 

         

        <陶紙という素材のもうひとつの生き方> 

   陶紙の水琴窟を完成してからまた私は陶紙にのめりこんでいきました。でもそれは

   切る、貼るという作業でなく<結び紐陶紙>と<粉状陶紙>の更なる飛躍、更なる

   作品です。在職中だったので制作時間が容易に確保できませんでしたが、作品は

   相当出来ました。伏見桃山城から15年少し経過した現在(平成17年)、在職中に

   ぼちぼち作成した陶紙作品を喫茶店のママが店内に展示したいとの話しを受け、

   退職して初めて陶紙の展 示を喫茶店内で行っています。これが陶紙!紙が焼くと

   陶磁器になる!驚きの目で様々な方に今見て頂いています。

   

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