「私のヒョウタン」 

                    −ヒョウタンでしたいこと−

     当初ヒョウタンは陶芸の絵付けの練習台として興味を抱きましたが、ヒョウタン名人の作品や

     ユニークなヒョウタンの形を眺めるうち、私はヒョウタンで何かを表現したい欲望が起こってき

     ました。ヒョウタンの大きさでは極小型〜小型の千成、中型の百成、釣鐘そして大型と様々あ

     ります。形もつる首から長ヒョウタン、いぼ、ジャンボとこれも様々です。そんな知識でヒョウタ

     ンの展示を見ていると、確かに大きさ、形を競って出品しています。見事なヒョウタンは装飾し

     ないでもそれだけで素晴らしく価値があります。しかしヒョウタンの栽培経験から立派なヒョウ

     タンに栽培するために費やす時間、努力は大変だと実感してわかり、これまでとは違う思い

     で見つめることができました。同時に時間、努力から私の挑戦対象から削除せざるを得ない

     ことも判りました。

      そんな時、ヒョウタンで何かを表現したいという私の欲望、目標に対して具体的なものがなく

     苛立ちがありました。そんな時ふと視線を落すと目標に向かって河童が歩いていました。河童!

     異様な雰囲気で私は図書館に直行して河童の文献を調べました。するとヒョウタンと河童に深

     い因縁があることを偶然に発見しました。

      河童は東洋文化として日本に渡来し、ヒョウタンとのかかわりは密接であると記載されていま

     した。(戸川安雄著)河童の好きな食べ物はキューリに茄子、嫌いな物に金物、麻、鹿の角等

     があり遊びに相撲・・ヒョウタンが記載されていました。ヒョウタンを船に見せかけた遊び、生活

     の中ではヒョウタンは水を入れる器、切ってはご飯茶碗、汁茶碗、そして種々のおわんとして

     使用されていました。そんな密接な関係を知れば知るほど、ヒョウタンのユニークな形は河童

     に相似している感じを受け、ヒョウタンで河童の一代記はどうだろうと一足飛びに目標への道

     が具体化された次第です。

      私の住所の近くは明治時代、河童を見たとの証言が記載され、河童の生存で有名な奈良

     田原本です。流れる川は佐保川、清浄度ではワースト3に入る川です。河童の消滅は公害

     とも言われています。佐保川の汚染は河童を住めなくし絶滅を誘いました。公害の最初の犠

     牲者である河童、ワースト3という自慢できない汚染川が近くを流れている私の住所。河童の

     哀惜というか供養というか、そんな感情の念が<ヒョウタンで河童の生涯を語ろう>と思いま

     した。

      ヒョウタンで大きさ、形、装飾の見事さを競うことそれぞれに意味がありますが、人と異なっ

     たことを挑戦したい私、紙漉きで能面つくりをした同じ感情が湧き、ヒョウタンで河童の生涯、

     公害との戦いを表現し環境浄化、公害追放に役立つことに挑戦しました。カッパ佐保太郎

     という名前のヒョウタン河童を見たヒョウタン名人の計らいで銀行のロビーで一ヶ月登場して

     銀行を訪れる皆さんに見てもらったことも大きな励みになりました。

     ヒョウタンで表現したいことはもう一つあります。それはヒョウタン花瓶です。ヒョウタン花瓶は

     高級な花を生けるのではなく、道端の野花、野草にとっても似合います。逆に野花、野草は

     豪華な花瓶でなくヒョウタン花瓶が最適です。ヒョウタンを眺めていると様々な花瓶が想起さ

     れました。春、秋になると玄関にヒョウタン花瓶に生けられた可憐な露草や名もない花が私

     を迎えてくれます。陶器の一輪さしとはまた異なった愛らしさがあります。

      以上、私のヒョウタンは河童の日常生活を具体的に具現化させた事とヒョウタン花瓶に集

     約されます。当然伝統的な装飾<たたき技法による研ぎ出し><多種の塗料の研ぎ出し>

     <スプレーによる着色><墨流し>の一部を紹介します。他にのこぎり、ノミを使って立体を

     表現した独自の陰影作品も紹介しますが、中心は河童と花瓶です。                                 

    

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