自己紹介

                                    挑戦大好き人間  <田川 進>

囲碁のこと

  この度、当HPの管理者川田さんから私の趣味の一端を囲碁HPの開設の機会に紹介してはどうかとのお誘いをいただきました。そのご好意に甘え、ホームページに登場しました<田川 進>です。氏名の頭に <挑戦大好き人間>を付けました。これ何?と思われた方が多いと思います。私自身を語るとき最初に<先ず挑戦ありき>です。自己紹介を兼ね挑戦に対する私の考えを説明していきたいと思います。

  私は二級でめる碁に入会させていただきました。連碁はつくば、愛宕、浅間連碁と連続参加させていただき、今は男体連碁に参加しています。級位者と高段者が同じレベルで対局すること、囲碁だけでなく趣味の話し、写真の紹介・・と何でもありの連碁の世界に<挑戦大好き人間>としてくすぐるものがあり、楽しくみながら連続参加しています。

  <囲碁はボケ防止の妙手>(金子満雄著 河出書房新社)を読み、最近その効用を真剣に考えています。実は現在90歳の私の父親、以前は囲碁大好き人間でした。ところが囲碁仲間と飲み会があったとき、日頃の親しさから酒量が多くなり救急車の世話になった事があります。そのことで母親が囲碁仲間に迷惑をかけたと平謝りし、父の囲碁会への出入りすることに不快感を募らせました。父もそれを受け入れ参加を控えるようになりました。父が70歳の出来事です。全く関係がない囲碁に八つ当たりです。それ以来囲碁の仲間の来訪も減り、公民館の囲碁クラブへの足も遠のき一人囲碁になりました。面白さは半減、いつしか碁盤の前に座ることもなくなりました。それから10数年経過、昨日も連絡ありました。父の認知症の傾向が強くなり夜中の放浪癖、他人を盗人扱いにする言動、食事を忘れ時間を考えない食事・・私は改めて<囲碁はボケ防止の妙手>を思い出しました。現在囲碁をしている人にはボケ患者はナシ。ボケ患者の中に囲碁経験者はいるが、現在は全くしていない、囲碁を止めると認知症は進行するというデータを思い起こしました。改めて囲碁を止めた父を恨みます。認知症が進んだ患者さん、囲碁で認知症の進行を抑え正常に導いた治療体験も紹介されていました。私の父はもう後戻りできない認知症症状です。そんな父の姿をみて、私は決して囲碁は手放さないこと、意を新たにしました。


自分の人生

  
私は若いときから<見てみよう。やってみよう>の挑戦が好きでした。私の挑戦にはなにか運命の糸に引っ張られている感じがします。必然的なものが必ず挑戦の前に現れます。そして挑戦意欲が高まりそれに着手しなければいたたまれない、落着かない不安感が募ります。

元来<想像すること、創造すること>が好きだった私は感動するとすぐ散文、自由詩で想像の世界を散策する癖がありました。また一面、博物館・美術館めぐりが好きだった私は芸術、特に陶芸が好きでした。あれを書きたい。これを造りたい・・年齢と共にイメージは様変わりしましたが、挑戦意欲は衰えることなく持ち続けました。しかし悲しいかなサラリーマンの身、自由になる時間が少なく、あれを書きたい、これを造りたいの意欲は常に中途半端で挫折し消化不良になっていました。そのじくじくした気持ちは定年後の人生、24時間自由に使うことが出来る定年後の人生に賭けようと思った時やっと解消され定年を指折り数えて待ちました。晴れて定年を迎え<想像すること、創造すること>に気兼ねなくのめりこんだ時、在職時持っていた一途な気持ちがなんだか様子が異なって来ました。<あれもしなければならない、これもする必要がある>と思い込み、気が付けば新しい趣味のジャンルに次々と手を染め、足を踏み込んでいました。24時間、全て自分の時間―60歳にして手に入れたこの快挙、途方もない宝物を得た気持ちが心を大きく寛大にしたのでしょうか、あるいはこれが禍いしたと表現すればいいのでしょうか。


牛乳パッククラフト

  
若いときは文学の世界に遊んでいた私は物を作ることは全く縁がない人間でした。ところがある日ある時、リサイクル・地球・公害・・という突拍子もない言葉が予告なしに想起され、目前にある飲み終えた牛乳パックに釘付けされ、このパックに私と同様もう一つの生きる道がないのだろうか?有る筈だと考えました。牛乳パックにハサミを入れ広げたり押し込んだりしました。そして偶然にハサミの入れ方、折り方に基本ルールがあり、基本切り、基本折りを繰り返すと筆立て、コースターと様々な箱が出来ることを知り、また二つ三つを組み合わせるとマガジンラックやテッシュペーパーケース、くず入れになることを見つけました。私はこれを<牛乳パッククラフト>と命名して1冊の本にまとめました。

 この牛乳パッククラフトを成功させた事が必然的に次の挑戦を呼びました。


紙漉き

  
牛乳パッククラフトの次はパックの残り紙のポリエチレンをはがし、パルプのみを取り出した紙漉きです。紙漉きはすでに一般化しているので人と違った紙漉きが出来ないかと考えました。紙漉きの途上で手を加え能面つくりや財布が出来るのではないかと挑戦しました。成功のキッカケは紙おむつ、紙タオルです。不織布という化学繊維が発達し自重の何倍かの吸水力があることを知りました。この記事を読んだとき、紙漉きの乾燥は日光や熱のみに限定することはない。乾燥に吸水乾燥があってもおかしくないと感じ紙おむつ、紙タオルを利用しました。能面の微妙な凹凸、目じりのしわは元面にかぶせた漉き紙は忠実に再現していきました。吸水乾燥の成功です。次はパルプの繊維と野菜の繊維の違いをはっきりさせたいと野菜の繊維素のみを取り出し、野菜の紙漉きへと手を広げました。玉ねぎから透き通った紙、にんじんから茜色の紙が出来、興奮しました。数々の紙漉き枠の制作、紙質を丈夫にするこんにゃくの粉や渋柿の購入に走っていました。二番手で紹介するセイタカアワダチソウと枝豆で作った陣羽織は自慢の作品です。挑戦の二番手は紙漉きです。


ヒョウタン

  三番手にのめりこんだのはヒョウタンでした。紙漉きの際、紙の間に入れる押し花や篆刻模様から絵に興味を抱き、絵を勉強するなら陶器に直結する器で勉強しようと思いました。ヒョウタンの曲線、胴回りのふくらみは陶器に通じるものがあることに気付き、私は近所のヒョウタン名人に教えを受けました。今では栽培から収穫まで一連の作業をこなしています。私の<想像すること、創造すること>の底辺は陶芸が流れています。言うならば陶芸を続けるため、陶芸をより一層深めるための方便として次々と挑戦したのかもかもしれません。 


竹炭(花炭)

  
ヒョウタンから竹炭(花炭)へと変遷しました。私の変遷は不思議な出合いがありました。当時は竹炭の効用が大きなブームになり、竹炭の消臭効果、殺菌効果を日常生活に取り入れた商品が多く販売されていました。私は細長い竹炭より、人形など面白い形にすれば目の保養になるし楽しさが増えるはずと思い、竹炭による作品つくりに奔走しました。炭による作品は<花炭>という名称があることを竹炭の名人から教わりました。そのとき表面積なら負けないヒョウタンが納屋に一杯収納されている事に気が付きました。しかしこれから炭焼き窯を作ることは資金面、時間的に無理です。そうだこの陶芸窯を利用できないかと考えました。発想の転換です。要するに陶芸の炎が入らない仕切りを設ければいいのだ!開けると焼物と真っ黒い竹炭が出てくる。魔法の窯の挑戦にのめりこみました。詳細は第四段の<竹炭(花炭)>でお話します。四番目の挑戦は竹炭です。 

不思議な出合いとは竹炭に挑戦しようと思った時、偶然に友人から竹炭焼きの名人を紹介され窯詰め焼成方法等を教わりました。私はそれを陶芸窯に応用したに過ぎません。ヒョウタンも同じです。書店で色々本を購入してきましたが、なかなか理解できませんでした。そんな時偶然お祭りのとき、ヒョウタンを展示されている方を知り尋ねるとご近所の方でした。毎日のように通いました。お陰で大した苦労もなく目標に近づきました。挑戦を決意したとき不思議にその道の達人に出合うこと、秘法を教わり目標に達する筋道が見えてくると、私の人生訓で述べます<道と目標>、まさしく一衣帯水です。今竹炭にのめり込み、色々な作品を手がけています。

生き甲斐

  竹
今竹炭にのめり込み、色々な作品を手がけています。竹炭の次は何に挑戦するか判りません。一年後になるか二年後になるか判りません。その間、底辺を流れている陶芸、<陶紙工芸>と<陶土工芸>を紹介していこうと思っています。全部で六つの挑戦の紹介です。                

家内や親戚は<あっち、こっち手を染め、中途半端、浮気性、消費性>との批判ですが、私にとっては必然の派生事です。これらのジャンルに手を染めなければ<想像すること、創造すること>は挫折したでしょう。24時間が自分のものになった時のあの感動を持続し、それを具体化、実現化することで新たな生き甲斐、新たな喜びを得たのです。でも身は一つです。新しく挑戦したジャンルは何をもって終わりにするか!どこに節目をつけ、どこで次の挑戦を受け入れるか!見切りが必要と考え、私は私なりの線引きをしました。まず作品展の開催、あるいは自分が納得する基本的な技量が確保された時点を一区切りにしようと思いました。牛乳パッククラフトは1冊の本にまとめ、紙漉きとヒョウタンは作品展と講習で一区切りをつけました。

今挑戦しているのは竹炭(花炭)です。初めて今年の秋、竹炭とヒョータン炭が競合した<招き猫>と<河童が引く花車>を作成して文化祭に出品しました。

第二の人生は手づくりでスローライフ

  スローライフで第二の人生を疾走しようと決めたとき、ゆっくりでもいい、人と人との出会いを大切にし、その中から人生を創造発展させるものがあれば拝借して手作りの第二の人生を仕上げたいと思いました。自分らしい幸せは誰の手を借りず手づくりしたい。私の幸せは料理でいえば<隠し味>、その<隠し味>を挑戦の過程で確かなものとして掴みたい、それが新たな旨みのハーモニーとして作品を味付けしてくれれば最高です。 

  自分であって自分でなかったサラリーマン世界を卒業して誰の印鑑・誰の許可も必要とせず自らの責任で行動できる今の自分を大切にしたいです。スローライフを望みます。納得する人生を歩みたいです。牛乳パッククラフトから始まり現在竹炭焼きに挑戦している私、川田さんからお話があったとき、ここらで一休みして私なりの作品を披露し、同時に挑戦から生まれ、挑戦から確信した私の人生訓を登場させ、襟を正して囲碁の仲間に見ていただくのもいい機会だと感じました。竹炭に至った道のり、途上の作品は独立した作品として評価されなければなりませんが、最終的には私自身の人生の糧として、私自身の人生の一里塚として第二の人生を総括するものとして存在させたいです。そこに生きてきたそして現在に生き、更に生き続ける力強い新しい喜び、新しいハーモニーが奏でていたら私として最高です。またそれが自分の生き方を価値あるものにすると思っています。


終わりに(囲碁を伴侶として)

  
囲碁は自ら描いた設計図に従い指先に命じて具体化させます。描いた設計図は対局者によって何度も何度も書き換えを余儀なくされます。右脳、左脳、前頭葉はフル回転しているでしょう。ボケ防止の最高の遊びですが、残念なことは手足を動かしていません。頭脳を中心としたゲームです。身体を動かすことが好きだった私には何か不満感、不足感があったのでしょうか。そうしたもろもろの感情が囲碁以外の世界に目を向け、結果としていろんなことに挑戦したのでしょうか・・・でも囲碁は父を見て金子先生を信じて一生涯伴侶と致します。

  HPに牛乳パッククラフト→紙漉き→ヒョウタン→竹炭→陶紙工芸→陶土工芸 の順でユニークな作品を紹介します。どうか皆様のご教唆、ご高配を承りたくお思います。メールアドレスも併記します。

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