チンタオ(中国)からのたより Part 8


   


青島に台東という街がある。
東京に銀座と浅草があったように、青島では高級な街が香港中路、庶民的な街が台東鎮である。         

その昔、ドイツは青島建設に当たり、外国人専用地区として、桟橋から東へ伸びる海岸沿いに住宅街を造った。
台東鎮は中国人専用地区として指定した。青島の道路は複雑に入り組んでいるが、ここ台東鎮だけは碁盤の目のように整然としている。
管理しやすいようにしたためだ。

時代が変わって、今の台東の街は、東京の新宿のようににぎやかだ。

夕方になると、裏通りに立ちんぼの物売りが並ぶ。籠の中に果物をいっぱい入れてしゃがんでいる者。
路上に四角い布を敷いて、小物を並べている者。いつ取締りのお巡りさんが来ても、さっと逃げられる態勢だ。

取締りが来た、という情報が入ると、一斉に、蜘蛛の子を散らすように逃げて行く。
その様が、また見事でおもしろい。

逃げ遅れて捕まれば、容赦なく商品を取り上げられる。のんびりしているのは、占いのおじさんおばさんだ。
路上に何食わぬ顔をして、小さい椅子に座っているだけだ。そこへ、悩みごと相談の人がやってくる。

取締りのお巡りさんも、あまり強く追い払ったりしない。車の中から手を振って、「やめなさい」と言う程度だ。

占い師(?)は、ただ、占いの文句を書いた紙を折りたためばいい。それを懐に入れて空を仰げば、ただのおじさんおばさんだ。

昔の話に戻る。

ドイツ統治から日本統治時代になると、日本人も中国人も混在して、住宅街が広がって行く。
商人たちも集まってくる。

中国人商人たちは、生活の糧を求めて市内の住宅街に物売りに入って行く。

どんな物売りがいたのか、いつものように、Mさんのメールから紹介しよう。

「秋から冬になると焼き栗やが来ましたね。

手籠に綿布団で包んだ熱い焼き栗を売り歩く声を思い出します。
「栗ー子」と声を長く引きやって来ます。外に出て声をかけると、玄関で棹はかりで計って売ってくれます。
夜静かな街に響く声は、冬の風物で寒さを一層感じさせました。

ドイツパンを売るワゴン、
ワゴンでない人は天秤棒の両側にガラスの箱をぶら下げて売りに来ました。
美味しかったですね。

洋服の生地を反物で重ねて担いで歩く生地屋。白系露人もいましたが、みな男性で長衣を着ていました。
         
小学校の夏のピケの帽子は、汚れると帽子の洗濯やに頼み洗濯して貰います。
歩道の上に引き車を停め、洗濯道具を一式備え、頭の形の木型に帽子を被せ、直ぐに洗い始めます。
ブラシで擦り本当にアット言う間に仕上がります。
男性のソフトも皆洗っています。見ているだけでも楽しかったです。

しんこ細工のことを覚えていますか。
道端で台をおろした小父さんが、鐘馗や、またいろいろな武将などを棒を芯にして上手に作り、
出来上がると、台の前に立て並べて売っています。

白い「しんこ」にいろいろな色を混ぜ捏ねて、手のひらで上手に延ばし、たちまち作ってしまいます。
あれは確か冬に出る商売だったような気がします。
天津では見かけましたか。

中国語の先生に、私のお土産はそれにして欲しいと頼んでありますが、
今は見かけないのでしょうか。未だに実現されません。」

最後のしんこ細工は、天津で見たことがある。
今のは単純な形でつまらない。昔はもっと複雑な人形にして売っていた。

包子やシャオビンも売りに来た。
昔の包子は、中身がいっぱい入っていてうまかった。

道路の角にはお湯を売る店があった。
ブリキの筒が外に突き出ていて、蒸気が噴き出し、笛が鳴った。
お茶を飲みたいときは、やかんを持って買いに行けばいいのだ。

私の家でお産があったとき、大急ぎでお湯を買ってきて産湯にしたことがあった。
                               (2005年12月)