北海道いろいろ

                                                      2007.12.13 中村倶和記
 
 鎌倉時代から明治中ごろまで日本は令制国制度によって五畿および7つの地方区分に分かれていたそうだ。
だから北海道は蝦夷地であって琉球とともにおおよそ外国と見なされていた。
北海道を知る上でこの島の歴史は奥深いものがある。
アイヌ民族は沖縄人と同じくアボリ人の子孫と見られている。
さらに北方からはカラフトを経由してモンゴロイドの狩猟民族(ギリヤーク)が豊かな幸に恵まれ沿岸部にくらしていたほか、青森、秋田 さらに諏訪湖沿岸にも彼らの遺跡が発見されている。
なかでもオホーツク沿岸の遺跡は、戦中戦後に金田一京助も発掘に尽力したことは有名である。
 
室町時代のころから渡島半島は多数の和人の豪族が割拠し、中でも松前藩は函館-松前を支配し幕府もその事実を認めていた。
しかし北海道は海産物、木材、毛皮の宝庫であったが米をつくることはできなかったため、幕府からは重く見られることはほとんどなかった。
 
1869年(明治2年)政府は蝦夷地を8つめの地方区分として北海道と改め11の国を定めた。
開拓使は、アイヌ民族を「旧土人」と呼び、アイヌの土地、資源を一切認めないばかりか、アイヌ語、狩猟権、チセ(アイヌの住居)を完全に禁止した。
1997年札幌地方裁判所は、「二風谷ダム訴訟」の判決の中でアイヌの先住民権を初めて認めた。
これは世界的な先住民族の復権の流れであり アイヌ民族の長く苦しい歴史に希望の光がみえた瞬間であった。
 
 写真の十勝岳を望む当地、美瑛町はおよそ上川の中央に位置する。
当時は石狩国と呼ばれ、だいたい現在の石狩と空知および上川の南半分をさしていた。
 
札幌から9月中ごろ、鉄道あるいは車で旭川へ向かう。
車窓の両側には黄金色の田園がどこまでも広り、無数の赤とんぼが乱舞している。
それもそのはず北海道は、毎年米の生産高において新潟県と競い合っている。
三笠市の脇を過ぎ、美唄市、滝川市と北上するにつれ山々の紅葉は一段と鮮やかである。
深川市を過ぎたあたりが石狩平野の北東端である。ここから石狩川は夕張山地の北端の鞍部を駆け上る。
急流となり両側から山が迫る。この場所はカムイコタンといわれているが「恐ろしい」「神々しい」の意。
北海道の屋根、大雪山から駆け下りる冷気が上川盆地を覆い、さらにカムイコタンの鞍部を通って石狩平野に押し出して行くのを感じる。
 
十勝岳は隣接する山を含めてオブタテシケと呼ばれていた。「槍がそれた山」の意。
標高2077m 雪のかぶった秋から春の姿は見飽きることはない。
写真は美瑛町白金温泉から5キロほど上富良野方面に向かったところから写す。
 
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* 五畿:おおよそ現在の奈良県、京都市以南、大阪府、兵庫県の南東部
7つの地方区分:東海道、東山道(東北6県、栃木、群馬、長野、岐阜、滋賀)、北陸道、山陰道、山陽道、南海道(和歌山、四国)そして西海道(九州)