囲碁文化史アラカルト(17)

          安井知得仙知とダメの妙手
                                   
小川玄吾


今回は江戸時代末期、文化・文政の時期に活躍した碁打ち、安井知得仙知を
紹介しよう。本因坊元丈、井上因碩(幻庵)、本因坊秀和に知得を加えて、この四人を後世の人は「囲碁四哲」と讃えている。

知得は伊豆三島の漁師の子として生まれた。幼時に七世安井仙知に入門し、中野知得と名乗った。寛政12年(1800)に25歳五段で安井家跡目となり、
同年御城碁初出仕した。
文化元年(1804)に上手(七段)、文化11年(1814)に七世仙知の隠居により安井家八世を継ぎ、安井仙知を名乗る。同年半名人(八段)に。
尚、知得を「仙知」と呼ばないのは七世安井仙知と区別するためである。

本因坊元丈は知得の一歳年長ではあるが、二人は、天明8年(1788)知得13歳時の対局から文化12年(1815)の御城碁まで、約80局対局しており、上手、半名人への昇段も同時、生涯の知友でありライバル関係にあった。

元丈は厚く打って攻めを得意とするに対し、知得は堅実でシノギを得意とする碁でいぶし銀とも呼ばれ、対照的な碁風であった。この二人の対局に、後世「ダメの妙手」と言われる一局がある。



この局は文化9年(1812)に彦根候邸で4日に亘り打たれた。155手知得中押勝であったが、上記棋譜の黒69手目が、いわゆる「ダメの妙手」である。
依田紀基九段の解説によれば、この手の意図は次の二点にあるという。
(1)白からの利きを消した。
(2)後手一眼(半眼)を確保した。
出来たらジックリと並べてみて、この「ダメの妙手」を味わっていただきたい。

ところで、依田紀基九段は「泰然知得」のはしがきに、知得の渋さ堅実さに対し、「いくら何でも甘いだろう」「こんな手で勝てるわけがない」と思った手で、堂々と勝ち切ってしまうのに、ただただ敬服するしかないといっている。
そして知得のヨセの上手さを肴にこんな話を披露している。

もう数年前のことですが、中国の常昊君が僕にボツリと呟いてきたことがありました。
その内容は「李昌鎬にどうしても勝てない。
中盤までは互角なのに、何時も終盤で計ったようにやられてしまう」というものでした。
そこで僕はヨセの素晴らしい「知得全集」全四巻を彼にプレゼントしました。

参考文献:依田紀基「泰然知得」日本棋院(2003)他