囲碁文化史アラカルト(16)
雛屋立甫のこと
小川玄吾
しばらく中断しておりました、「囲碁文化史アラカルト」を再開したいと思います。
最初は一寸軽くて面白いエピソードのある雛屋立甫を取り上げてみました。
立甫は本姓を野々口といい、江戸時代の京都在住の高名な俳人である。
立甫は囲碁の趣味があり、三段くらいの打ち手であったと言う。
棋力にアマプロの区別がなかった当時としては相当の打ち手と見てよかろう。
元禄年間に本因坊道策に対し5子の指導碁が、爛柯堂棋話に載っており
道策の打ち回しが見事な局であるが、立甫の力もなかなかである。
(棋譜の一部は道策のところで紹介したので、興味ある方は参照されたい)
今回は、立甫の俳人としての逸話を、中山典之六段のエッセイから拝借して
2つほど取り上げてみた。
ある年の秋、骨董屋で立甫の掛け軸を見かけたという。隣の夏目漱石の短冊
が250万円なのに35万円とは、立甫が気の毒に思えたと。その掛け軸、
南無天満大事の木なり松と梅
さて、藤原時平の陰謀にひっかかり筑紫の大宰府に流された菅原道真の
東風吹かば匂い起こせよ梅の花主なしとて春な忘れそ
に関連することは分かったが、松の木とは何じゃというのが、最初の時点での
疑問であったと。一晩考えて思いついたのは次ぎの答えであった。
南無天満大事な期なり待つと梅
天神様、一大事ですけど、今は時期を待ちましょう。私もご主人の無実を信じ、
疑いが晴れてお帰りになるのを待ちましょうという梅の返歌なのだと。
今この掛け軸は、中山邸にあるという。
あるお百姓さんが、畑に瓜を作っていたところ、夜な夜な狐に食われる。いろいろと
防御策を講じたが、よほどの古狐と見えてうまく行かない。そこで立甫に相談。
「鬼神をも感動せしむるわが言の葉を以ってするに、妖怪の野狐、何ほどのこと
かあらん」と気合するどく即吟一句、
己が字のつくりを喰らう狐かな
と、サラサラと紙片に書き、これを竹に挟んで瓜畑のど真ん中に立てさせたところ、
その夜から狐がコンようになったということである。
参考文献:中山典之「囲碁の世界」岩波新書(1986)
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