囲碁文化史アラカルト(15)

          菊池康郎氏と緑星囲碁学園
                                   小川玄吾

 

     今囲碁界の最大のニュースは棋聖戦であろう。第1,2局を山下敬吾棋聖が制し、初の防衛成るか否か大いに期待しているところである。今回はこの山下棋聖の育ての親とも言うべき菊池康郎氏と緑星囲碁学園の紹介をしよう。

     数年前「ヒカルの碁」が子供社会に囲碁ブームを惹き起こしたが、囲碁への飽くなき探求と人間形成を基本に、青少年への囲碁教育に情熱を傾注しているのが、菊池康郎氏の緑星囲碁学園である。

     プロ棋士の個人的な養成機関として有名なのに、「木谷道場」があった。木谷実氏死後このような機関はもう生まれないだろうとといわれていた。どっこい緑星学園があるではないかというところ。

     緑星学園出身のプロ棋士といえば、青木紳一(九段)青木喜久代(八段、女流名人)の

兄妹がいる。先輩格としては、村松竜一(七段)鶴丸敬一(七段)がいる。今をときめくタイトル保持者、リーグでの活躍者といえば、山下敬吾(棋聖、王座)を筆頭に溝上知親(八段)加藤充志(八段)がいる。秋山次郎(八段)高野英樹(七段)鈴木嘉倫(六段)望月研一(六段)山田晋次(四段)大場惇也(四段)が続く。

我等のアイドル大沢奈留美(三段)を忘れてはいけない。今度女流名人挑戦者になった加藤啓子(五段)も一時学園で学んだという。彼女は溝上夫人でもある。(敬称略)

  今や学園の出身プロは間もなく30人に達しようとしている。

     緑星囲碁学園の設立は昭和54(1979)年である。アマの研究会であった「緑星会

を切り盛りしていた菊池氏が、たぎり立つ中国碁会に触発され、若い人の育成を決意した。昭和56(1981)年、菊池氏は新日鉄を退職、学園運営一本に変身した。

昭和61〜62(1986〜1987)現活躍のプロ棋士が続々と入園。現在園児は

200人を超える。園児への教えは囲碁のみならず、人間教育に定評がある。

山下棋聖は対局中けっして正座を崩さない。これは学園教育の片鱗ともいわれている。

     菊池氏のプロフィールと人柄について敷衍しておこう。

氏は昭和4(1929)生まれ。東京都出身。3歳で囲碁を覚えたという。中学時代に神奈川に転居、さる素封家と知り合い、囲碁の蔵書を片っ端から読み耽った。昭和26(1951)第一回大學リーグ戦10連勝で優勝。その後数々のタイトルはもとより、トッププロとの2子局で10連勝するなど、輝かしい実績の持ち主である。

人柄は温厚、気さく、礼儀正しく、情熱を内に秘めている。

     ところで、緑星学園のプロに隔月指導を受けている「緑郵会」という団体がある。発会  

  は平成10年、昨年秋に指導碁100回を記念しての感謝懇親会が催された。菊池氏と親交のあった勝部師臣氏の仲介で、日本郵便碁愛好会の有志が菊池氏に懇願して成立したもの。現在会員30余名。私もその一員で恩恵をいただいている。