囲碁文化史アラカルト     

                                      囲碁文化史アラカルト(12)北杜市囲碁美術館    

                                          小川玄吾

     先日(10月の中旬)塩澤美義さんと二人で、山梨県北杜市にこの8月に開館された囲碁美術館を訪問する機会を得ました。今回はこの美術館の紹介をしましょう。

     実は館長の長森義則さんとは、彼が日本棋院在勤中、大変お世話になりまたご厚誼をいただいた方で、半年くらい前に棋院から突然姿を消され、その消息を気にしていたのでした。「一度観に来てよ」との電話が塩澤さんに入り、参上あいなったわけです。

     なんでも囲碁は文化だという愛着と、たゆまぬコレクションは30年、1500点におよぶそうです。(展示は300点、随時入れ替えるとのことです)

     中央本線長坂駅を下りて徒歩数分、市役所の2階、美術館の入り口で長森館長の昔と変わらぬ笑顔に迎えられました。

     私にとって囲碁の博物館とも言うべきは、マホロバ・マインズ三浦の「囲碁ムユージアム」(館長水口藤雄氏)と、市ヶ谷の日本棋院地下にある「囲碁殿堂資料館」についで3つ目です。
雰囲気は館長のお人柄か、上記2つと違って美術館の色彩が濃い感じでした。





     入り口にあり先ず圧倒されるのが、武田信玄と高阪弾正対局の等身大石像です。

これはこの地に当美術館が決まったのを記念して、市からの寄贈だそうです。総重量一トン余とのことです。キャプションによれば、この対局は第4次川中島の戦いから数えて5年後、永禄9年(1566)春長遠寺にてとあります。棋譜の真偽は不明なれど井上家の棋士、三神松太郎編「古棋」(文政12年)(1829)が出典元。
(塩澤氏撮影の写真と棋譜を参照されたい)

     浮世絵、引札(広告の絵)、書籍、陶磁器、着物、切手など、江戸時代の庶民の生活に囲碁が密着・浸透していたことが伺われる代物が多く、興味深い一時を過ごしました。

     徳利を得るのに3年かかったとか、大正時代のうちわ(女性が碁を打つ図)なんかなかなか手に入らんものよ、貴重なのは江戸末期から明治初めに掛けての棋書・雑誌の類とか、苦労話や逸話はもっともっと沢山聞いた気がする。

     機会があったら是非一度でも二度でも観にいっていただきたい。