囲碁文化史アラカルト

  囲碁文化史アラカルト(9) 鎮神頭」って知ってますか?

                                                                小川 玄吾

     出典:中国の書(適情録)に、顧師言と日本の王子との対局とある。
「爛柯堂棋話」(林元美1848)、「坐隠談叢」(安藤如意明治38)他数多く記載あり。

     唐の宣宗大中7年(853)、日中両国の天才棋士が対局したときにできた妙手の話

遣唐使藤原葛野麻呂朝臣の一員として、伴小勝雄(19歳)が碁師として随行した。

     さて、唐の都長安に日本から一人の若者が来朝し、宣宗皇帝に目通りしたが、この若者が並々ならぬ囲碁の名手と聞いていたので、早速碁の大国手顧師言を呼び御前試合を命じた。顧師言時に43歳。

     白を持った小勝雄は入念に石を進めた。白44までが棋譜である。

  布石なしのすさまじい捻り合いの乱戦模様。手順を誤れば即座に潰れる局面である。

  互いに四分五裂し、壮絶な白兵戦である。白44を打ったとき、シチョウ両ニラミで、これで勝ったと小勝雄は確信した。

     ところが、顧師言の打った黒45がシチョウ両シノギの妙手となり、小勝雄は茫然自失、静かに頭を下げた。

☆ この話には後日談がある。「顧師言先生は唐の第何位の打ち手なりや?」の問いに唐側は「第三位なり」と答えた。「それなら第一位の方と手合わせをしたい」との小勝雄の願いは退けられた。

 帰国後、小勝雄は碁師として名を高め、長く第一人者の地位を保った。そして40年後、小勝雄の甥に当たる伴須賀雄が藤原常嗣を正使とする遣唐使団に随行の折、当時の小勝雄に宛てた書簡を持ち帰った。

 「小勝雄先生の力量は、我々の予想を遥かに越えるものでした。我々は驚き慌てまし
た。
あなたを負かした顧師言大人は実は唐第一の打ち手でした。
それを第三位といったのは、新興日本にみくびられたくなかったのです。
あれからしばらくは、長安の都はあなたを讃える噂でもちきりでした」と。

☆ 「鎮神頭」は、以後「両シチョウシノギの手」の代名詞として使われるようになった。

  (顧師言の黒45の手は次の機会にお教えしましょう)

      参考文献:`島道雄 神授の手筋(1997)他