囲碁文化史アラカルト
 
小川玄吾

囲碁文化史アラカルト(3)  劫の話


     碁なりせばコウでなりとも生くべきを死ぬるばかりは手もなかりけり

これは、初代本因坊算砂の辞世の一首である。

     「劫」はサンスクリットのカルパkalpaの漢訳「劫波」の略。非常に長い時間を意味する。どのくらい長いかというと、一例を挙げれば、『方高40里の石を天女が3年毎に羽衣で払拭し、ついにその石が摩滅してしまうまでの時間』だ。諸説ある中で私の好きな説である。

     劫があるので囲碁というゲームは一段と奥が深くなる。今争っている本因坊戦も、劫が微妙に勝敗を分けているのが興味深い。吾々アマの碁でも、劫に泣く、劫で逆転は頻繁に起こる。

     初心者には劫は教えない。また教える時は必ず具体的な劫材を示してあげないと、理解し難い。初・中級者向け詰碁にも、劫がらみの問題はできるだけ避けている。

     劫の格言は枚挙にいとまがない。「序盤に劫なし」「初劫取るべし」「劫立ては小さい順に」「そば劫は立たず」「攻め合いの劫は最後に取れ」これらは棋力向上の指針である。

「碁に負けても劫に負けるな」私の好きな格言の一つである。        

 参考文献:村島專誼紀 コウ辞典 (1975)