囲碁文化史アラカルト
 
小川玄吾




NO.1.「囲碁の起源と日本への伝来」

☆3千ー4千年前。発祥はインドともチベットとも。中国、朝鮮を経て日本へ伝来したらしい。

☆BC1820頃,夏の桀王の臣、賭博囲碁をつくると「和漢三才図絵」(江戸時代の百科事典)に。

☆600年頃の中国隋代の歴史書「隋書・倭国伝」に、「倭国仏法を敬い(中略)、棊博(キバク)=(囲碁)、握槊(アッサク)=(双六)、樗蒲(チョボ)=(博打)の戯を好む」とある。

☆奈良正倉院の宝物に当時の碁盤が3面奉納されており、碁石も多数現存している。

なかでも有名なのは、「木画紫壇棊局」で、これは聖武天皇(在位724−749)遺愛の品といわれている。百済の義慈王から藤原鎌足(614−669)に贈られた碁石、紅牙・紺牙撥金鏤棊子や碁笥、銀脱平合子もある。


☆735年、安倍仲麻呂と同行した遣唐使吉備真備が囲碁を持ち帰ったという説がある。唐随一の打ち手王積薪(囲碁十訣の作者)は彼に囲碁を教えたともいわれている。 

                      参考文献:中山典之 囲碁の世界(1986)他



NO.2.「囲碁十訣」

    囲碁の訓戒として有名な「囲碁十訣」の作者は王積薪と思っていたが、囲碁文化史研究家の水口氏によれば、劉仲甫とのこと。しかも彼は中国将棋の分野の人である。
 囲碁十訣

不得貪勝(貪りては勝ちを得ず)
     入界宜緩(界に入らば宜しく緩なるべし)
     攻彼顧我(彼を攻めるに我を顧みよ)
     捨子争先(子を捨てて先を争え)
     捨小就大(小を捨て大に就く)
     逢危須棄(危うきに逢わば須らく棄つべし)
     慎勿軽速(慎みて軽速なる勿れ)
     動須相応(動けば須らく相応ずべし)
     彼強自保(彼強ければ自ら保て)
     勢孤取和(勢孤なれば和を取れ)
                                               ☆もう十数年前になろうか、記憶に誤りがなければ、韓国棋院を訪れた折、表面玄関に
の十訣の文字が刻まれていた気がする。
☆縁あって、関西棋院苑田勇一九段直筆の「動須相応」の扇子を持っている。私にとって
これは家宝である。

           参考文献:水口藤雄 囲碁文化誌(2001)他