富士放談(10−2)”本年もよろしく願い上げます”

64 人目 渡邊 千里 (6  富士連碁 147  1/10

一杯飲みながら、いい機嫌でメールの返信などやっていたら、何と富士連碁が
私の順番です
いかにヘボといえども、一泊させるのは本意ではありませんので、無理やり発信
いたします。
 
最近の皆様のコメントでは、一つ手前のトクダさんの乾布摩擦が参考になりました。
その昔、寒い朝もよくやりましたね。明日から、やろうっと  
 
大野さんの神戸の大地震。これは当時テレビで見ていましたけど、その凄まじさには
息を呑みました。よくぞ、ご無事で.......というしか言葉がありません。
 
戸井さんの「碁に勝つにはまず根性が悪くなければ駄目なんですね。半目腕を上げ
ること、これが今年の私の夢です」。
 
等々、多くの皆様のコメントが参考になりました。また面白いお話がありましたねー。
 
私も、今年は善良な市民意識を捨てて、根性を悪くして半目でいいから腕をあげよう
っと....。「悪いやつほどよく眠る」というから、悪者になって麻薬のお世話になるのは
やめようっとしよう
65 人目 杉浦 博 (2)   富士連碁 148  1/12

 この一週間ラジコン機の改造につい夢中になり、メールを開くのが夜になってしまいました。
昨日はついうっかりパソコンに触らずじまい一日遅れてしまいました。 
改造も終了しましたので、メールも毎日開けそうです。
 
66 人目 川原 富 (4)  富士連碁 149   1/13

連碁は何故か発信が遅れると強迫観念に捉われ、送信するとほっとします。
68 人目  大野 日出旺 (3) 富士連碁  144 1/9

阪神大震災で芦屋を放り出されて宮崎に居ついてから、早や12年の月日がたとうとしています。間もなくメモリアルデイの17日がやってきます。あの時は本当に怖い目に遭いました。本当に実際に経験したものでないとわからない...恐怖の思い出です。 しかし命だけは助けて戴いたお蔭でこうして好きな碁を打つことができます。毎年この日が来ると、生かしていただいた感謝の気持ちと、多くの亡くなられた方々への追悼の意を捧げます。

大野さん、12年前の今朝5時46分忘れる事が出来ませんね。当時私は大阪支社にいましたが、多くの部下が災害をこうむり、大変でした。何度も御影から西に歩きました。災害の10日後、神戸の中華街に立ち寄りましたら、傾きかけた店で料理を作り、被災者が食事をしながら明るく語り合っているので中に入れて貰いましたが、不思議な感動をおぼえた。今となっては懐かしい思い出です。(戸井 有眞 琵琶湖連碁から転載)
 
阪神の震災がすでに12年経ったのですね。
関西の被災者の方々はまだ傷を負っているのでしょうね。
戸井さんも関係者だった由,大変でした。
私の息子も京都に暮らし始めて9年経ち,これから
大阪暮らしです。人ごとには思えません。
(中嶋 正一 琵琶湖連碁から転載)
69 人目 冨田 喬  (3)  富士連碁 145  1/10

今年になって碁石にまだ触っていません。
明後日に碁会の大会があるので初打ちを
楽しみにしています。
70 人目 徳田 英雄 (5)  富士連碁 146  1/10 

朝、寒くて体が固まり、動きが悪くなりましたので、いっそ裸になり、乾布摩擦を始めてみました。
 リフレッシュして案外いいものです。
 今年もよろしくお願いします。