新緑の候 浜名湖に憩う


        



 ときには気温25度を超える真夏日ともなり、また、あるときは梅雨もどきの天気が続いたこともあった。そんな5月の日々も過ぎて、はや今年も前半最後の6月を迎えた。世界同時不況の最中、5月初めにメキシコで発生した豚インフルエンザは、あっという間に世界を駆け巡った。いまやわが国でも、高校生たちの修学旅行も海外へ出かけたり現地でのホームステイが珍しくなくなった。こうした旅行が一般化するにつれ、インフルエンザウィルスなどの感染者も瞬く間に日本中に広まる。

 厚労省が中心となって、空港などでの水際作戦で感染の拡大を抑えようとした。しかしウィルスの潜伏期間には症状も表面化しない。このため検疫の網を抜けて、関西を中心に各地で感染者が増えることとなった。薬局などではマスクが売り切れる有様である。増産も追いつかない。この
新型インフルエンザも月の終わり頃には、やっと一段落となった。「新型」と呼ぶのは日本だけのようで、新たなインフルエンザが何をなすか、未解明なために余計に人々の恐怖心を高めたようである。

 月末も近い日曜日、かねてから約束の会社時代の友人との再会のため、おっちやんは久しぶりの新幹線に乗って浜名湖へと向った。仙台から一人、名古屋から二人が浜名湖に最も近い東海道線・鷲津駅にて落合い、そこから宿の出迎えのバスに乗る手はずである。おっちゃんを含め4人が再会を果たす予定だ。名古屋からの二人は15時02分に鷲津駅に着くとの連絡をうけた。これにあわせるべくネットで検索した結果は、当方の列車は15時04分に着くことになっている。
 日本の鉄道は、その時間の正確さでは世界一とも言われる。まさにそのとおり、予定時刻ぴったりに鷲津駅に到着した。

 静かな東武鎌ケ谷駅からみると、首都の玄関口・東京駅はやはり喧騒を極めるばかりである。人、人、人で溢れんばかりの混雑ぶりだ。おっちゃんは余裕をもって東京駅に到着したために、周囲の状況を観察する余裕があった。田舎から出てきたおじさんやおばちゃんがウロウロしている一方で、超ミニスカートに長身のお姉さんが連れ立って構内を闊歩する。髪の色や形、歩く姿から一流モデルとおぼしき気配が漂う。
 中学生らしき団体旅行も見かけた。関東は新型インフルの感染者も少ないことから、マスク着用の人はポツリポツリと散見する程度である。時間を見て、新幹線ホームに入る。以前の感覚だと、自由席は発車時間のかなり前から大勢の客が並んでいたような気がする。ところが発車30分前になっても、乗車するホームの上に殆ど人影がない。15分前になって、やっと数人が並び始めた。
              
      

      
新型車両 500系       旧車両 700系 人影のないホーム
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 久しぶりに持った携帯電話がぶるぶると震えた。仙台の友人からの電話である。その彼は、発車時刻の5分前にやっと現れた。乗るべき人が乗った列車の中は、一見してガラガラの空きようであり、マスクを着用する人は、若いビジネスマン位である。その若者は、ノートパソコンを取り出して何や
ら仕事を始めた。新インフルは若い人たちに感染者が多い。その若者もおそらく、会社からの指示によりマスク着用におよんでいるものと予測した。

 最新の新聞報道は次のように報道している。JR東海は、5月1日から5月27日までの東海道新幹線の利用客が昨年の同時期よりも14%減った。
 月ごとでみた過去最大の落ち込み幅は、阪神大震災で山陽新幹線が一部不通になった95年2月の同13%で、これを超える勢い。

 景気低迷に加え、新型インフルエンザを警戒して関西などへの出張や修学旅行の自粛が広がったためと見ている。新型インフルエンザがまだ確認されていなかった今年4月は同11%減で、落ち込み幅は3%の拡大。JR東海の社長は記者会見で「この3ポイント分は、少なくとも新型インフルエンザの影響とみられる」と述べている。まあ、部外者たるおっちゃんも、同じ見解ではある...。

 鷲津駅で迎えのバスに乗り込んだのは、我々4人のほかにもう一組、ほぼ同年輩の方々が8、9人程度おられた。すっかり晴れ上がった好天気の中、車窓から眺める新緑の木々と田園の光景は心を癒してくれる。
 改めて、日本の見事な森林を実感した。ここ数年は国内旅行が少ない。レンガ色の中国の農村の建物や、都市部において高層ビルの林立する一方、壊される廃屋の残骸やガレキを見慣れた目には、日本の景色は美しく一段と新鮮に思える。とにかく爽やかで気持ちがよい。緑の森は20数分で抜け、青空に映える瀟洒な宿に着いた。

 宿泊先は「
かんぽの宿・浜名湖三ケ日」である。場所と宿の手配は、地元に詳しい名古屋市在住の友人がやってくれた。その結果は、今や誰知らぬものもいない「かんぽの宿」になった。特に料金が安いわけでもないが、話題性がある。「かんぽの宿」は初めての体験になる。野次馬根性もあった。まあ、とにかく行ってみることとなった。

        
 
       
建物外観       お土産店     部屋のテレビ 
                                
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 玄関先で従業員のお姉さんに迎えられ、広い和室に案内される。4人で15畳ほど。とにかく広い部屋に泊まることとなる。まずは大浴場の温泉に浸かり、夕食を摂る。ステーキ定食とのことだったが、残念なことに量が少なかったようだ。
 酒を飲むとご馳走を残すおっちゃんも、軽々と平らげてしまった。今や話題の「かんぽ」である。責任者と見られる男性がグループの食卓を一つひとつ廻りながら、食事のメニューなどの感想を聞いている。遅きに失するが、その姿勢が一番大切であろうと思う。

 部屋に戻ると、再び焼酎をさかなにワイワイと回顧談が始まる。10数年の月日を過ぎても、その後に歩んだ道は違っても、みな持って生まれた人間性は変わらない。その人それぞれに、人生観がある。変わったのは、みなよわいを重ねて、以前よりは少しずつ頑固になったことだろうか。
 僅か一晩ではあるが、楽しく語らいかつ飲めたのは本当に良かった。

 部屋の中では、巨大な薄型テレビが目立った。旧型のテレビも未だ使えた?だろうに、いち早く宿に取り入れたのは先端的な感覚か。それとも無駄な投資になるのか。こんな立派な 「かんぽの宿」の数々が、一山いくらで売却される瀬戸際にある。
 立地条件にも恵まれ、設備もまずまずで働く人々も心優しい。そんな宿が毎年赤字を続ける。だから早く売らねばと、大損失のままに売りに出す。お役所の固い頭が、国民の貴重な税金を垂れ流してしまった。バナナのたたき売りをする前に、打つ手はいくらでもあったろうに。
 役所の最大の問題点は、お金を「使うことしか知らない」ことにある。お金を「稼ぐ苦しみとそのための努力を知らぬ」ために、税金の効果的な使い方が出来ない。

 建物が立派でも、従業員が誠実でも、トップの頭が固くて臨機応変に世情に対応できなければ所詮はおいていかれる。激烈な販売競争に立ち向かわずに、ぬるま湯に浸かったままでは生き残れない。お役所が自ら最も不得意な仕事に手をだしたのが、最大の失敗であった。と思う。

           

              
浜名湖 遊覧船に悠然と乗る
 
                             
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 船着場で遊覧船を待ちながら、ソフトクリームを戴く。昨夜たっぷりと飲んだせいか、ソフトクリームの甘さも格別だ。昨日の朝、千葉出発どきの雨模様はない。晴れ上がって、暑くもなし寒くもなし。心地良い風を受けながら船が進む。
 最近購入した3代目のデジカメで湖面と湖上を狙う。高画質にしても4GBのメモリーで1500枚近くも撮れる。お客さんは我々4人のほかに数人いるだけだ。せっかくだから、甲板の上に出て広い眺望を楽しむ。

 20分も乗ると、対岸の館山寺温泉に着いた。ここからロープウェイに乗り小高い展望台に登る。相客はおばちゃんばかりである。若い人を見ないなあ、と思ったら今日は月曜日であった。高齢者軍団は人混みを避けて優雅に自然を楽しむことが出来る。有難いことである。
 山の上から眺めた浜名湖は、さえぎるものもなく、まさに絶景であった。

 そういえば、
定額給付金なるものを、先日市役所から振りこんで頂いた。夫婦二人に、派遣社員の娘で5万2千円。自らの分は2万円也。景気浮揚の為に使ってくれとの政府方針に則り、今回それに上乗せして使わせてもらった。今朝の新聞をみたら、某旅行会社が「定額給付金12,000円で台北3日間」などと大きな見出しをつけている。
 台湾もいいなあ。インターネットで細部を調べ、申し込み寸前までいったが取りやめた。今年は北海道での懇親囲碁会もある。チンタオのyouさんからもお誘いがある。浮気する余裕はないのを知るべきであった。

 昼になった。浜名湖名産のウナギを食べることにしてあった。勤めていた頃、月1回の出張で出かけた名古屋郊外のウナギ屋では、うな重のウナギが二重になっていた。ウナギからご飯、そしてまたウナギという具合である。
 いま、そんなものは食べられない。迷っていても仕方ない。とあるウナギ屋に入った。うな丼、うな重、ウナギ定食と三種ある。どれが一番美味しいか、と聞いたら「ウナギは皆同じ」と言う。そりゃあ、そうだなぁ。結局は一番高価なウナギ定食になった。
 代金は4人の中で最も裕福な仙台の友人が支払った。自分を含めて、二人だけの会社。そこの社長をやっている。ビールも含めて、改めてお礼を申し上げたい。


       

 
        展望台から見た浜名湖              名古屋駅前の高層ビル
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 仙台の友人とは浜松駅で別れ、その日の夕刻に名古屋駅前の飲み屋で会社の後輩と会う。そこで意外な話を聞く。その彼と同期生のある人物が書物に書かれていると言う。2005年に講談社から発行された文庫本。題して「ドキュメント敗れざるサラリーマンたち」。

 地元の大手書店で探したが、講談社でも分からない。絶版と思われるものを、オンライン書店で遂に見つけた。
 9人のサラリーマンの生き方を描いたもの。第9章に「名門商社を飛び出して目指す『建築と福祉の融合』」とある。著者はフリージャーナリストだが、内容は細部にわたり正確で間違いがない。主人公が著者に記事を提供したものと思われる。

 だが、その本の主人公は60歳を前に死去しており、自己の生き様(会社の変遷なども含む)をなぜに明らかにしたのか不明のままである。今では知る術もなく手がかりもないままに、迷宮入りしそうである。(C・W) 
  
     

                
  〜 終わり 〜