俳句と私

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 俳句と私(5 2005年11月                                小川 玄吾

    熟るるほど垣に数増すからすうり 

秋もたけなわになると、当家の生垣や庭の植木に自生の烏瓜が濃い橙色の実をつける。

鶉の卵よりやや大きめの楕円体である。家内が活花の材料にしたり、東京の叔母に土産にしたりしたこともある。

烏瓜は、つる性多年草で、雌雄異株、巻きひげで他の木にからみつく。名の由来は、鴉が好んで食べるというのと、鴉がついばんで中を空にするからという二説があるが、鴉がついばんでいるのを見たことはない。

烏瓜は、夏の終わりに糸状に細裂した美しい蝶ともまごう白い花をつける。私は実よりこの花の方が好きだ。 

   山肌は紫に明け裾紅葉

製粉会社を定年退職した後、二年ほど(財)食生活研究会の事務局を任せられた。この会の理事長が何と卒論のご指導を受けた恩師であった。40年ぶりで、また身近に親しくお仕えできたのは私にとって何とも嬉しい体験であった。

この恩師が米子に呼ばれ講演をすることになり随行した。世に言うかばん持ちである。この句はその時大山の麓の観光ホテルに泊まった翌朝に詠んだ。この句とともに想いだすのは恩師の温厚な笑顔である。

恩師は既に80歳のなかばを越えているが、栄養・食糧化学分野の重鎮であり、なお矍鑠と学識経験者として活躍されている。この恩師の印象深いご教示の一つに「食肉の勧め」があり、私もその信憑者の一人である。




 俳句と私(6) 2005年12月                                小川 玄吾


  埴輪練る少女の真顔小六月

さきたま古墳を散策、吟行したのは何時のことだったか。この句は、その後さきたま資料館、埴輪館を見学した折のものである。

私のいた会社の俳句同好会
で、10人ほどの一行であった。同行しお元気だった師匠格の先輩2人は他界

してすでにいない。

さきたま古墳は、県名発祥の地、行田市周辺に5−7世紀の初めに造られたもの。

30haに及ぶ。資料館には、古墳より発掘された鉄剣や鏡が展示されている。

国宝である。又行ってみたい名跡の一つである。 

 

子守柿残して梯子仕舞いけり

我が家には何本かの柿の木がある。
甘いのと渋いのと半々くらいだ。11月も
終わり頃になると、渋柿を採取し皮を剥き吊るし柿にするのが恒例で、今年も家内共々この作業を楽しんだ。

ところで、暖冬だった一昨年、吊るし柿にした段階で黒カビが発生し、折角の吊るし柿が全滅した。
この対策として、思い付きであるが、皮を剥いた後で35%の焼酎に
漬けてみたところ、未処理のものはカビにやられたが、処理したものは大丈夫だった。

今年は例年になく寒波襲来で、かくのごとき処理をしなくもカビにやられることはなかったかもしれないが、更に殺黴効果をあげる意味で、5−60℃に加温した焼酎に2−3分浸漬してから吊るすことにした。
この成果はわれながら大満足、目下極めて
順調に吊るされた柿は脱水されつつ軒先を飾っている。

渋柿を吊るし柿にすることで渋みがとれるメカニズムは、水溶性のタンニンが不溶化することであるらしい。