俳句と私
俳句と私(3) 2005年8月 小川 玄吾
人のいう蝮谷にも百合咲ける
一時期、私もゴルフに凝った。この句は小川CCで詠んだものである。蝮がでるというので、キャディーさんはOBボールを拾いに行ってくれない。割合トリッキーなコースなので、随分ボールをなくした。
ところで、ゴルフと俳句は何となく違和感があり、ゴルフ場でいい俳句はなかなかできない。ゴルフが舶来のものであり、人工的自然のゴルフ場は日本の伝統的文化である俳句とは、何処となく異質なのかもしれない。
二三日家をあければ大なすび
家庭菜園を楽しんでいる私は、毎年5月の連休前後に茄子の苗を8−10本購入し、はぐくみ育てている。茄子は結構貪欲な野菜で、肥料充分の苗床づくりから、毎日の散水、時々の追肥さえ怠らなければ、充分満足な稔りを提供してくれる。
稔りの最盛期には、家内と二人ではとても食べきれない。そして一寸子供のところへ遊びに行ったりすると、化け物のような大なすびがぶら下がっている。
茄子の旬は、アットいうまに終わる。この不満を、幼馴染の農夫に訴えたところ、稔る頃に、次の苗を育てるといいという打開策を授かり、数年前から実施している。7月の初めに丸坊主にし、再生させる手法もあるときいている。これはまだ試していない。
俳句と私(4)2005年9月
さらさらと葉ずれの音も今朝の秋
サラリーマン生活の終わりの10年を、私は志木ニュウタウンのマンションで過ごした。一時期は、勤めや大学が東京である娘二人との共同生活であった。勤め先の日本橋と私の住む埼玉の田舎の中間点であったので、私ども家族は「出城」とよんでいた。
この団地は意外と緑が多く、季節に従って樹木や花ばなが装いを変えた。とりわけ、車道に出る広場の真ん中に、大きからず小さからずの欅の木がモニュメントのごとく鎮座しており、通勤途上の私の目を楽しませてくれた。
秋は、ある朝突然顔を出す。そして、日中の暑さに戸惑う私の前に、徐々に全身を曝して来るのだ。
焼きたての熱き銀杏手に弄ふ
勤めていた頃、気のおけない連中としばしば赤提灯に通った。「それは精力剤ですよ」と冷やかされながら、よく銀杏を注文したものである。大抵は、店の親父が焼きたての銀杏を10粒ほど塩を敷いた皿に盛って出してくれた。ビールを片手に、新製品開発の夢を語りながら、手に弄っては頬張ったものである。
過日、昭九会の九州旅行にゲスト参加し、熊本城参観の機会を得た。築城主の加藤清正は、
万一の兵糧攻めに備えて、城の庭に銀杏を植えた。其れにちなんで熊本城を別名銀杏城というそうだ。ちなみに、熊本市の樹木は銀杏である。
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