張家口編 Part 9     ライター千遥



                 

                          張家口  郊外のパノラマ
                                                               

 
 前回、貧しい身なりのおばちゃんたちが、安い水を販売していることの疑念について触れた。具体的に
述べると次のようになる。
 まず中国では生水を飲む習慣はない。環境の汚染が進んだため、水道水 (=zilaishui)をそのまま飲む中国人はいなくなった。水道水が殺菌されていないからである。だから飲料水(=yinyongshui)は、少なくとも水道水を沸騰させ、それを飲む。沸騰した熱いお湯は熱水(=reshui)という。またの名を、普通は開水(=kaishui)とも呼ぶ。この熱水をそのまま飲むわけにはいかないから、それを冷やして飲み水とする。ぬるくした水は温水 (=wenshui)と言う。一番安く飲み水を手に入れる方法は、水道水を沸かし、それを冷やしてペットボトルに入れて持ち歩くことだ。学生なんかは皆、そのようにしている。
 この沸騰させ冷やした水を涼開水(=liangkaishui)と言う。暑い夏に冷たい水は、心地良い。この沸騰させた水道水を冷やして、ペットボトルに入れてしまえば、1元で売っても充分に儲かると思ったわけである。何しろ、ペットボトルは拾ったもので、原価はゼロ元(タダ)なんだから..。
 因みに中国に始めて行った方などは、この沸騰させた水でもお腹を壊す人が多いといわれる。日本人は中国の水に慣れていないため、免疫力がないらしい。わたしは幸いにもここ数年、数十日の滞在でも下痢ひとつしたことはない。

 のどかな公園でひと時を過ごしたあと、同年輩のおじさんに帰り道を教えてもらい、トコトコと坂をおりていくと街中に入る。途端に周りの景色は一変する。そこには、毎日をせっせと生きる普通の人々の生活がある。体裁なんかに構ってはおられない。貧しくても懸命に生きる逞しさがある。でも、一人 ?ポツンと主人を待つ馬の表情は、何かちょっと寂しそうであった。


  
      

     
張家口の下町   屋根まで積み上げたゴミ袋  こんなところにパトカーが

      

    
 何処でも売らねば...    バスも車も怖くないよ  見つけた日本料理店
                                      
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 中心街に近づくほどに行き交う人たちも増え、いろいろな光景を目にする。崩れかかったレンガの家の屋根にまでゴミ袋を積みあげ、乗らないものはその辺に捨てたままだ。夕方ともなって、歩道や車道での物売りが目立つ。馬力のある若者は、路上に停めたトラックそのものがスイカ売り場である。夏場だけに、スイカは一番の目玉商品だ。あちこちで、たくさんの人たちが様々な場所に陣取って売っている。

 少し小奇麗な通りに出たら、何と立派な日本料理店を見つけた。入り口のガラスに貼られたポスターを見ると寿司屋であった。お客がいないように見える。こんな山の中の寿司屋では旨い筈はなし、と勝手に決め付けて通り過ぎた。しかし、段々と腹が減ってきたのが分かる。こんどは積極的に飯の食える店を探しながら歩いた。しかし適当な店が見つからない。ホテルの近くまできたら、すぐそばにスーパーを見つけた。ここで酒と夕食を買うことに決め、肩にかけたバッグもホテルの部屋において店に入る。

 案の定、荷物を持ってきた客は、その荷物を警備員に取り上げられている。万引き防止のためである。何を買うか迷った。が、明日の朝食は食べ放題のバイキングだから、と酒主体に若干のつまみと握り飯で止めた。ビールは360CCを2缶 (1缶4.5元=70円)、55度の白酒の小瓶を一つ、水ボトル1本に、つまみなど。夜食を購入したら直ぐにホテルに戻る。明日の大事な仕事があるからだ。それは翌日、北京に戻るための切符を買うための相談である。

 ホテルのすぐそばに張家口北駅がある。ここからは一般の列車は出ないようであった。どうも貨物専用駅の感じである。フロントのお姉さん(小姐=xiaojie)に、「北駅で北京への切符は買えるか」と聞いたら「ダメ」とのお話だった。貨物駅では仕方がない。明日一番に張家口南駅へ切符を買いに行くことにした。お姉さんは親切だが、日本語は一言も話せない。こんな田舎に、日本人が来ることは殆どないのだろう。翌日のチェックアウトの時間は12時である。荷物は午後2時まで預かってもらえることを確認した。
 これで、まあ今日は終わりと部屋に戻り、ビールを空けてから、白酒(日本の焼酎とほぼ同じ)にポットのお湯をたっぷり加えて飲む。かなりクセがあるが我慢して酔うまで飲む。室内の衛星テレビではNHKのみ見られる。「台風で10人が死亡」などと報じられている。そのうち、酔いが回って寝てしまった。
 1976年、電撃的に日中国交回復を果たした田中角栄は、55度もあるこんな酒で、毛澤東や周恩来と乾杯 !乾杯 !と数度やっていたらノビテしまった、という逸話もある。さもありなんと思った。

 翌朝は早めに朝食(
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 切符売り場は相変わらずの混みようだが、予め北京西駅への列車3本ほどを紙に書いておき「このどれでも良い」とやったら、すんなりと購入できた。これで帰路は問題ない。駅前のタクシーに乗り込む。また女性運転手だ。ホテルに戻るつもりだったが、とても愛想が良かったので、予定していた大境門へと直行した。


    
        

                             外敵を守った大境門

              

                 
張家口の位置と万里の長城   下の2枚は拡大表示します
           

 出発前に、中国語教室の王徳東先生(北京からの留学生=東京大学博士課程に在籍)から受けたメールによれば、張家口は次のように簡明に説明されている。

 
張家口(ちょうかこう)は中国の河北省北西部にある都市である。『北京の北門』とも呼ばれ、北京の北を取り巻く万里の長城の主要な門「大境門」のすぐ外側に位置し、ここを制したものは北方から北京を攻める場合にも、北京を守る場合にも有利になるという。面積は36,829平方メートル、 人口は449万人である(市街地人口は84万人)。北は内モンゴル自治区に、南は万里の長城をへだてて首都・北京市と河北省保定市に、東は河北省承徳市に西は内モンゴル自治区と山西省とに隣接する。 市域は南北300km、東西228kmに渡って広がり、張家口市街のはるか北、張北県・康保県にまで広がっているが、逆に南側の懐来県・宣化県にも広がっており、これらは北京から20kmも離れていない。
 張家口の見どころ
【大境門】もともとは明代の長城の関所だった場所。九一八事変後は、抗日戦争や国共内戦の舞台にもなった。
   
  今回の旅行で、「なぜ張家口に行くのか」北京や青島の友人からも聞かれたが、特に大きな目的があったわけでもない。青島に行く前に北京近くの街を一つ位見ておきたい程度のことだった。ただ、中国でいう九一八事変、すなわち瀋陽で起きた9月18日の満鉄爆破(満州事変)と、張家口とどんな関係があるのかについては、少し興味があった。張家口は北京への要衝であり、北方防備の要だったわけである。

 前述のとおり張家口の町の北方には、1485年(明朝時代)に築かれた万里の長城の関門「大境門」と呼ばれる石造りの大きな門(下部6m、上部5.4m)がある。清朝時代、この門に「城楼」が築かれ「大好河山」と書かれたという。そして1979年に改修されたと言われるが、見た感じは昔のままの佇まいであり、30年ほど前の再建とは思えないほどである。張家口は日中戦争当時、日本軍が侵攻し傀儡地方政府を設立したのである。明代城壁建築の特徴であるレンガ建築の大境門は山脈の谷間にあり、関所の両側は急斜面となっており、この尾根に沿って長城が築かれている。日本軍はここを天然の要塞と考えたのかも知れない。

 大境門をくぐると左手に、おばちゃん二人が管理する売店(露店)がある。北京郊外の長城関所として有名な八達嶺や、居庸関のような華やかさなどは何もない。ここで、ボトルウオーターと長城へ登る入場券を買う。入場券は10元である。店の横の細い道をちょっと登ると、大境門の上になる。この上から南面に長城が伸びている。200から300メートル程度は舗装された通路で平坦だが、そこから先は階段状で急斜面になり、また砂利道で何処まで続くか分からない。
 途中ところどころに、敵を偵察し迎え撃つ箱状の陣地がある。当時の弾痕もみうけられる。
 

   
       
 
                   
大境門から頂上へ

       

       
長城から眺めた張家口    〜緑に囲まれた街並みと見える〜
                                      
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 大境門から200メートルほど登った森林の中に、上記下段左写真のような建物が見えた。そこまでいくつもりがくたびれて気力を失い、横道から下がる羽目になった。途中で立派な公園があった。ここに少し人影を見た。中国独特の健康器具も設けられている。のんびりと体操する老人もいる。ふと見ると公園の上に休憩所のようなものが見える。ノコノコと上ったら観光客がいた。5人ほどの家族のようである。
 その中の奥さんがわたしを見つけ、「写真を撮ってくれませんか ()」とカメラを差し出した。デジカメは皆同じだ。ついでに、わたしも可愛い ?奥様と一緒に納まった。

               



 山の上は空あくまでも青く、緑豊かな森林は気分も晴れやかにさせてくれる。山々に囲まれた近くの街並みも整然としているかに見える。だが、よく目を凝らせば全く異なることに気づく。元々は綺麗なレンガ造りの建物であったであろう工場や個々の家も、土と埃にまみれた廃屋同然であることが分かり愕然とする。

 かつては、北からの敵を迎え撃つ重要な防衛拠点であり、モンゴルとの交易の要所でもあった大境門付近は、貧しい人たちの住む町と化してしまったようである。そんな中でも、近代的なマンションが建設されつつある。一体どんな立場の人が住むのだろうか。奇妙な国、不思議な町である。その町角には塗装工とか足場工、大工などの分類の箱が設けられ、希望者はその中に自分の名札を入れておく。そんな場所がある。そして、屈強な男たちは仕事が来るのを、タダタダじっと待っているのだ。



       

                  
普通の人たちの住む町並み

       

   
 素晴らしいマンション   長城を降りる家族連れ   唯一見かけた日本人観光客

                                      
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長城から降りて、入り口のおばちゃんから水を1本買った。勧められるままに椅子に腰掛け雑談をしていたら、おばちゃんが「日本人が来たよ」と、わたしに言う。見ると10数人の日本人観光客が大境門の上に集まって、ガイドの説明を聞いている。面白いから、その中に紛れ込んで一緒に聞いていた。お客さんに尋ねたら昨夜遅く北京着き、今日中にモンゴルに向うのだと言われる。かなりの強行軍である。でもモンゴルは直ぐ隣りだ。バスにも内蒙古と書いてある。
 懐かしい日本人だったが、こちらもモタモタとしてはおれない。列車に乗り遅れたら、あとの日程がすべて崩れてしまう。早々に別れを告げると、一路ホテルへと帰った。
                                            (つづく)