“朝焼けの謎”についての私見

      

                                多摩市 山本稀義

今市市の尾郷賢さんは510日の憩いの広場に日光男体山の美しい朝焼けの写真を投稿されましたが、その中で“朝焼けの謎”について疑問を提起され、その解答を求めておられます。何方かが解答を寄せられるかと期待していましたがまだのようであり、また、あまり日が過ぎてしまうのもアジが悪いので、筋悪とご批判を受けるかも知れませんが私見を述べてみたい。

尾郷さんも述べておられるように、朝焼け、夕焼けは自然光(白色)である太陽光や月光が空気中を通過する間に、空気中に含まれている塵や水蒸気等によって自然光の中でも波長の短い青色系の光が散乱されて、波長の長い赤色系の光のみが通過してくるために発生する現象だと知られています。空の色が青いのは、この様に空気中で散乱された青色系の光線を横から見ている結果だといえます。

ところで、尾郷さんの疑問は、日没時に東の空の水平線近くに昇る満月も、日の出時に西の空の水平線近くにある満月も、いずれも夕焼け、朝焼けして赤く見えるのに、尾郷さんがデジカメで撮影した男体山の写真(尾郷さんの投稿された2番目の写真)の中の残月は、周りの雲や山が赤く朝焼けしているにもかかわらず、白く写っているのはなぜかという疑問である。

この疑問に答えるためには、前述の空気中における光の散乱の波長による違いを理解すると共に、地球の空気層(以下大気と言う)の厚さに留意する必要があります。大気の厚さは、空気の密度によって測られますが、気体の密度は圧力に比例するので、圧力(大気圧)を知ればわかる。すなわち、大気圧は海面では1気圧(1013ヘクトパスカル)ですが、標高が高くなるとともに低くなり、標高10kmでは約14気圧、20kmでは約120気圧に低下しますので、大気の厚さはせいぜい20km程度だといえます。一方、地球の半径は約6000kmと非常に大きいので、大気は地球を薄く包んだ薄皮状をしています。その結果、大気の厚さは鉛直上方(頭上方向)に見ると薄いが、水平方向に見ると数百kmと非常に厚く見えることが特徴です。したがって、水平線近くにある太陽や月の光線は地上に到達するまでに大気中を長く通過するので、青色系の光の散乱を強く受けて赤く変色しますが、頭上にある太陽や月の光線は、大気中の通過距離が短いので光の散乱をそれほど受けず、白色のまま地上に到達します。

 それでは尾郷さんが投稿された男体山の写真の中の残月の色と大気の厚さがどのようにかかわっているかを考えてみます。写真の時刻は日の出直前ですから太陽は東の空にあります。一方、写真に写った雲や山は多分西の空(もちろん大気中)にあると考えられますので、これらを照らしている太陽光は、大気の中を水平方向に長く通過して赤く変色した光線で、それによって照らされた雲や山は当然写真のように赤く朝焼けして見えます。これに対して、月を直接照らしている太陽光線は大気の厚さが薄いのでその外側を通過した白色光で、その結果、月は白く輝いていたと考えられます。加えて、写真の中の月の高度はかなり高いので、月光は大気による散乱をそれほど受けずに地上に到着していて、その結果写真では白く写っていたものと考えられます。すなわち、尾郷さんの写真で雲や山を照らしていた太陽光と月を照らしていた太陽光はもともと色が違う別種のもので、かつ、月の高度も高かったので、月は朝焼けして見えなかったというのが私の見解です。しかし、月の高度がもっと低く、水平線近くにあれば当然赤く朝焼けして見えたと考えられますが、この写真の場合にはそこに男体山があるので、その向こうに隠れて実際に見ることは無理かもしれません。本見解はまた、尾郷さんの投稿の中で同種の現象として紹介されている赤富士とその上の白色の満月についても説明していることは言うまでもありません。この私見が尾郷さんの今後の朝焼け探訪において多少でも参考になれば幸いである。   以上