朝焼けの謎解決編


朝焼けの謎 解決編?

                                      今市市  尾郷

 約1年前、自分が撮った日光連山の朝焼け写真の中に疑問を抱いた。ものみな赤く燃え上がる中で、なぜ満月だけが白々と冷めた色を呈しているのだろう。インターネットで調べたら夜明け前の赤い満月の写真がみつかったのに、私の満月はなぜ? ただし赤富士と満月の写真では白い満月だった。

 

 この疑問に対し私的見解として文末に一つの可能性を提起した。これは時間差の問題で、連山の朝焼けの数分前に満月の朝焼けがあったのかもしれないと。

 これに対して山本稀義氏が貴重なご意見を載せてくださった。氏の見解は、満月を照らしているのは大気層を通過しない太陽光なので赤くならないし、反射してわれわれの眼に入るときも薄い層の大気を通過してくるだけだから赤くならないという。

 この2個の見解は本質的に同じものと解釈できる。すなわち、地球を薄皮饅頭に例えると大気層は皮の部分といえる。太陽光が接線方向で対象を照らしているとき、太陽光の大気層を通過する距離がもっとも長くなる。このときの太陽光は赤く、その数十秒の間だけ朝焼けが起こるのである。この接線方向の太陽光が月を照らす時刻と、日光連山を照らす時刻との間に数分のずれがあるので、連山が朝焼けしている時刻には月は白くなっていると考えられる。

                                                                   

 連山の朝焼け最盛期は12月から1月末の2か月に限られる。この間にこの仮説の証明に挑戦するべく私は1年間ずっと、わくわくしながら待っていた。

ところが今期の朝焼けは不運続きだった。曇りの朝が多い、晴れていても東の地平線に雲があると太陽光が接線方向で大気層を通過する数十秒間が雲に隠れる、そしてまた連山に雲のかかる朝も多かった。

 

満月のチャンスは3度あった。12月、1月そして2月の中旬である。12月の満月が条件的には最高だったが、恥ずかしながら、忘年会の翌朝であり私がカメラを構えたときはすでに朝焼け直前だった。連山朝焼けの後の満月はもちろん追えなかった。

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 1月の満月時は完璧に早く起きた。2度寝すると怖いからと、3時半から起き出して満月の下を数時間散歩した。最高の満月だったが夜明けが近づくと連山の上に雲がかかり月は隠れた。2月の満月時は初めから雲が多かった。満月の前後45日間もこれの繰り返しだ。私の普段の心がけが悪い故かと思ったが、特に思い当たる節もなかった。

 しかし神は私を見捨てなかった。満月ではない時の観察ですごい発見があったのである。1月末、雲の多い朝だった。まだ連山朝焼けには数分前で、月も見えなかった。ふと見ると連山近くの雲が黒っぽいのに対し、遠くの雲が鮮やかな朝焼けを呈していた。これぞ、遠くの物が早く朝焼けする実証ではないか。

 

 さらに2月中旬、日の出の数分前に遠くの雲の朝焼けを撮ることができた。

 そして極め付けが下の写真2葉である。2月の満月時だった。満月自体はこの後雲に隠れたのだが、なんとなく撮影した月の映像2枚を後に見比べて驚いた。

雲との位置関係からわかるように、1枚目と2枚目の間に1分の間隔しかない。明らかに1分後の月が赤味を帯びていた。肉眼では気づかなかったのである。このあとも月を見つめていたのだが、気づくほどの色の変化が無く撮影しなかったことが悔やまれる。

 視点を上下に動かしてみると色違いがはっきりするが、この2枚の月写真の色違いでは説得力が小さいことは認めよう。残念ながら朝焼けの最盛期は1月末で終わっており、月の撮影は215日だった。                                                             

 満月や遠い雲は低く見えても実際には高いところにある。高い位置にある月には接線方向の太陽光が先に到達し先に朝焼けする。連山の朝焼けは数分遅れるので、朝焼けを撮影したとき月は以前の白さに戻っていたのである。

 科学者のはしくれとしてこの謎解きに挑戦したが、傍証がメインで確証はちょっと弱弱しかったのが悔しい。

来期の朝焼けをまた狙って、真の解決編をお届けできることを祈っている。