アメリカンコネクション・囲碁のグローバリゼーション(2)

                         
渡辺 敏一


 さて、前回に引続きわがサウスベイ棋院のご紹介をしながら、もう少し囲碁のグローバライゼーションの話しを進めたいと思います。前回は世界の囲碁人口が、現在約3~4千万人であり、これが年々増加傾向にあるというところで終わりました。

 私の住むアメリカには約20万人もの囲碁人口があり、中国、韓国、日本、台湾に次ぎ世界の第四位だそうです。私達のサウスベイ棋院にもアメリカ人(白人ばかり)が5人、台湾人が4人いますが、揃いも揃って囲碁狂い、三度のめしより囲碁が好きという連中です。しかもこの外人組(失礼、アメリカでは私のほうが外人でした)全員が高段者で、この中の一人が六段で、現在わが棋院の最高段位保持者です。一体どのようにしてこれらアメリカ人が囲碁の世界に入っていったのか、非常に興味を惹かれる点で、いつか一人一人に聞いてみたいと思っています。

 なお、注目すべきことと申しますか、素晴らしいことと申しますか、彼らは囲碁だけでなく、全員が日本贔屓で、日本食も大好きなのです。彼らが最も苦手である筈のタコやイカ、それに“うに”のにぎりまでも平気で食べます。食べる量も身体に比例して尋常な量でないため、私達の新年会や忘年会では、日本人メンバーはいつも割り勘負けです。しかも熱燗が大好きで、いくら飲んでも顔には出ないし酔わないので、ここでも割り勘負けです。私などは囲碁に負けた上に割り勘負けで、悔しい限りですが、割り勘負けは囲碁の授業料と諦める以外にありません。

 さて、ここまでわが愛する囲碁狂いのアメリカ人メンバーの話をしましたが、私の囲碁との関わり合いに少々触れさせていただきます。これは“囲碁のグローバライゼーション”とは縁がないようですが、実は大有りです。と申しますのは、誰がいつ頃囲碁をアメリカに輸出したかは知りませんが、後日聞いたところでは、第二次大戦中にカリフォルニアに住む日系人が強制収用所(キャンプと呼んでいます。)に入れられたとき、そこに囲碁同好会が存在していたと日系人長老から聞いたことがありますから“囲碁のグローバライゼーション”は随分長い歴史をもつことになります。私がそこで囲碁と出会ったのですから“囲碁のグローバライゼーション”がなかったら、私は囲碁を知らずにいたことになります。

 そこで私の話ですが、私は10年余り前にサウスベイ棋院の友人から囲碁を勧められ、当初は白黒二色の石をちょこちょこ並べているあんなゲームのどこが面白いのかと思いながら義理で、しかも嫌々棋院に通っていました。

 高段者から9路盤そして13路盤での教えを受け、19路盤になって対局が許されましたが、何しろ嫌々の対局のため上手の格好の餌となり、当然のことなが負け続け、最初に貰った持ち点がマイナスになり、不登校ならぬ不登碁会所の状態に陥ってしまったのです。

 ところが不思議なものですね、少し白星が出始めますと急に気持ちが前向きとなり、毎週土曜日の対局日は真っ先に到着し、お茶やコーヒーの準備をするまでになりました。

 棋力に関係なく、今やその魅力に取り付かれ、こんなに素晴らしい趣味を紹介してくれた友人に足を向けて寝られないばかりか、心から“囲碁のある人生は素晴らしい”と声を大にしていえるのです。

 だから今孫にも一生楽しい囲碁を教えようと必死です。
     爺ちゃんの 碁敵倒せと 孫特訓

 では、これで「囲碁のグローバライゼーション」を終わります。
See you soon!!!