日本橋七福神巡り報告
2012年01月10日 |
同級生で一カ月一度歩く会を行っています。お正月は恒例の七福神巡りです。今年は伝馬町の牢屋跡と日本橋七福神巡りです。10日ともなると七福神巡りの人も少なく、じっくり巡りました。今年こそ日本の政治が前進すること、一同の健康を祈ってまいりました。全員、全神社にお賽銭をあげてまいりましたのでご利益はあるはずです。 |
10:00 日比谷線・都営浅草線人形町駅集合 |
10:15 十思公園(じっし公園、伝馬町牢屋跡、中央区日本橋小伝馬町) |
牢屋跡はこの公園とお寺の分院およびもと小学校だった保育園として残されている。全体で23618坪あった。
解説→クリック |
十思公園内乃木希典筆の碑→クリック |
跡地に公園を挟んで寺がある。高野山別院、身延山別院の2寺院。
刑死した人を弔うためのようだ。 |
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江戸伝馬町牢御椓場跡とある。椓は「タク」と読み、陰部を叩き潰すことの意。
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10:30 寶田恵比寿神社(恵比寿、日本橋本町) |
宝田村の鎮守は、元々は皇居前にあった。
祭壇の中央に安置される恵比寿神像は、慶長11年三伝馬取締役・馬込勘解由が徳川家康からこれを受け、運慶作とも左甚五郎作とも伝えられる。
1月20日初恵比寿、10月19日・20日には商売繁盛を祈る恵比寿講が開かれ、べったら市として例年20~30万人の人が訪れる。
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10:40 椙森神社(すぎのもり、恵比寿、日本橋堀留町) |
なぜ恵比寿が二つなのか?
七福神を決めるとき、どちらもおりなかったか?
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10:55 笠間稲荷神社(寿老人、日本橋浜町) |
江戸時代中期、常陸笠間神社の御分霊を奉斎、五穀をはじめ水産、殖産の守護神として信仰されてきた。
寿老人は長寿の神にして、お導きの神、幸運の神として、人々の運命を開拓して下さる福徳長寿の守護神とされる。 |
11:05 末廣神社(毘沙門天、日本橋人形町) |
多聞天の異名を持つ毘沙門天は、世界の守護神であり、又、福徳を授ける神ともされる。
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この日本酒 「末廣」は会津の銘酒で2007年第十九回で会津へ行った時、友人の1人がが注文した。それ以来毎年取り寄せて愛飲しています。
名前が同じなので奉納したのだと思います。 |
11:15 松島神社(大黒天、日本橋人形町) |
大鳥神社とも呼ぶ。
明暦の大火前、大鳥神社の周囲は歓楽街であった為、人形細工職人、呉服商人、歌舞伎役者、葭町の
芸妓傾城等々、芸能関係や庶民の参拝によりたいへん賑わった。
11月の酉の市が往時を伝える風物詩として今に伝っている。 |
11:25 水天宮(弁財天、日本橋蛎殻町) |
有馬頼徳公が、加賀百万国の前田公と能の芸を競われることになった際、弁財天に於いて願をかけられ、満願の日に目出度く勝つことができた為、室生弁財天ともいわれる。
この勝手引用解説と神社が表示している御由緒→
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とのギャップは不可解です。
安産の神というのはさらに不可解なり。
信仰とはかくも曖昧なものなのか?
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11:35 茶の木神社(布袋尊、日本橋人形町) |
周囲の茶の木が名の由来となった神社。
又、佐倉城主の屋敷内はもとより、町方にも火災がなかったことで、火伏の神とも崇められた。
布袋尊は福徳円満の神として広く信じられている。
無人だった。
「お札、お守りの購入は水天宮へおいで下さい」には恐れ入りました。 |
12:35 小網神社(福禄寿、日本橋小網町)
実際は昼食の後でしたが、七福神をまとめて紹介します。 |
5月の大祭では東部有数の神社大御輿で賑う。
11月末に繰り広げられるどぶろく祭りは奇祭としてとみに有名。
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小網の名前がなぜついたのか説明なし。
この辺も海辺だったんだろうとの推測でケリ。 |
まとめ
日本橋七福神めぐりは今から20数年前から三越本店が正月の客寄せのイベントとして三越を起点としたスタンプラリーのようなことをやっていました。
今回実際歩いてみて三越からはちょっと遠いという感じでした。
水天宮は別格ですが、他の神社は特に江戸時代商人のまちとして栄えていたころの名残が感じられます。 |
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11:40 玉ひで(行列に加わる、日本橋人形町) |
親子丼の老舗。
何時も混んでいるので有名。
創業1760年 御鷹匠仕事 とあります。
鷹匠がサイドビジネスで始めたのか、鷹匠より獲物を買って商品にしたのか、聞き出せなかった。 |
店内に玉飛天 と書いてある |
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12:05 座席に (行列開始から25分でした。今回は空いていたほうとのこと) |
味はさすがに良い。
1500円。 |
13:50 人形町駅にて解散 この日歩数 約8500歩 |