刻    字 
                                                     2011年03月05日
                                                    和知裕善

 刻字の歴史(日本刻字協会編:刻字をたのしむより)

1.         書と刻字

書とは、意思伝達のために言語を文字として書付ることから始まり、刻字は、かかれた文字を未来へ伝達するための保存から始まったといってよいでしょう。
現在見られる最古の文字は、殷代の甲骨文(紀元前1300年ころ〜紀元前1000年)です。
亀甲や獣骨などに刻された古代文字ですが、構成の確かさやバランスの微妙さとともに、刀法の速度や圧力の変化、刻法的にも高度な技巧が見られます。刻字も遡れば
3000年以上の歴史を有しているのです。

2.         刻者の登場

漢代に入ると石碑に文字を刻した人の名前が見られるようになります。最近、北京市近郊から出土した(元興元年105)の「幽州書佐秦君神道けつ」には(魯工、石巨宣・造)なる署名があり、これは現在発見されている中で最早の記録です。同じ頃の「祀三公山碑」「西嶽崋山廟碑」「武氏祀石けつ銘」などにも刻者の名前が見られます。
この時代、既に刻者の存在が認識されていた一証明として特筆したいところです。

3.         素晴らしい刻技と自書自刻

唐代になると刻技がより洗練されてきます。永微4年(653)建立の「雁塔聖教序碑」は書者・刻者の絶技を永劫に伝えるものというべきでしょう。書は初唐の三大家として有名な「ちょすいりょう」(596658)刻者は「ばんぶんしょう」です。「ちょすいりょう」の呼吸まで聞こえるような精彩さで刻れています。
しかしながら、今まであげた石碑はすべて書いた人と刻した人とが別人です。自分で書いて刻する。
いわゆる自書自刻は古来少ないと思いますが、自書自刻を心掛けたいものです。
 

4.         扁額

私たちがよく見る身近な刻字の一つに扁額があります。扁額とは横長の額のことです。日本では古くから木材を使った扁額が表札の意味で建物の入り口に飾られてきました。木材を用いる目的の一つに、年月を経て変化する風合いがあります。彩色が退色して古びた木材の寺社号額や老舗の招牌(看板)個人の家屋の表札などには独特の味わいを感じさせます。

5.         現代の刻字

1960年、第15回毎日書道展に刻字部が新設されました。それまで展覧会では篆刻の一部と見なされていた刻字が、一つの部門の芸術として独立して発展してきました。1970年には日本刻字協会が設立され年々多くの人が刻字を楽しみ自由な作品を発表しています。
展覧会はこれまで国内だけでなくハルピン・天津・ウルムチなど海外でも開催され、中国書法家教会内には刻字研究会が設置されるほどになりました現在は5ヶ国による国際刻字連盟も結成され、あらゆる文字、素材によって、創造力あふれる作品を発表し、活況をていしています。

6.         私と刻字

2004年つくば市の芸術祭が開催されたときに、女房が刻字の先生と知り合いになり一度見学に行くよう進めてくれました。
4
月に教室にお伺いいたしまして様子を見学させていただきました。私は、あまり手先は器用ではありませんが、なんとなく面白そうなのでやってみようという気持になり即道具一式を注文してスタートしました。
性格的にこつこつとやることは得意なので集中してできるのが楽しいです。まだまだ未熟な身ですのでいい作品ができるよう頑張りたいと思っています。




 
 1.艶40cm*50cm


人生色気がなくなったら終わりです。




   




2.あきらめない16cm*62cm


  「あきらめる」とは、辞書的には仕方がないと断念したり、悪い状態を受け入れたりする意味です。人生には逆に「あきらめない」精神が大きな成果を生むこともあります。
トロイア遺跡の発掘で有名なドイツ人、ハインリッヒ・シュリーマンはホメロスの「イリアス」を読んで感動した子供のころの気持ちを一生もちつずけました。そして後年、見事にトロイアの遺跡を発見したのです。その偉業は世紀の発見として賞賛されました。あきらめるのは簡単ですが、あきらめない精神は容易には身につきません。
シュリーマンは、周囲の 人たちが絵空事だからと笑っていても、トロイアの存在を信じ、自分の夢を追い求め、あきらめなかったのです。私たちも、彼の精神力を見習って、容易には、「あきらめない」ようにしたいものです。
   



 
3・井伊直弼の歌37cm*90cm

 幕末の動乱期に老中として威勢を奮った井伊直弼の作です。
茶の心得があった御仁らしく、「和敬清寂を詠み手」という前書きがあります。
千利休によれば、和敬とは「和して敬う」という茶道における主人と客の互いの心掛けをあらわし
「清寂」には庭のただ住まいや茶器などが華美になりすぎないようにという
意味がこめられています。
「和」という語には平和とか、和合するといった意味合いのほかにも、いくつかの異質なものを掛け合わせ、新しい価値を生み出すという考え方もあります。
この歌は、無風のときは枝垂れて、風が吹くとそれに逆らうことなくしなやかになびく柳に人生を重ね合わせ、どんな事態にもあわてず、奢らず、ごく素直に、そして自然体に構えていれば、やがて真理は見えてくるものだという心境を表しています。