冬の大連 かけ歩き
part 3
                                                      
ライター 千遥

物々交換された北朝鮮軍艦

物々交換の北朝鮮軍艦 (展示品)
北朝鮮が商品代金を支払えずに、軍艦で支払ったもの
使い物にならず市民に公開されている


  大連には広場が多い。パリを模して作られたという町並みは、中山広場から放射状に10本の道路が延び別の広場へと連なっている。道を一つ間違えると、とんでもない方向に行ってしまう羽目に陥る。これらの町並みは当初ロシアにより建設され、日露戦争後には日本に引き継がれたものだが、そのためか大連には西洋風の建物が多く残されている。

 広場でサラサラと筆を走らす書道家 ガイドが説明する現在の建物名称と、日本統治時代の呼称は建物の数が多いことと、彼の早口ゆえに到底覚えられなかった。

  後の参考にと調べてみたら、次のようなことである。中山広場に面した建物は、北から時計回りに最初の中国銀行(横浜正金銀行)から始まり人民文化クラブ、大連市教育委員会(中国銀行)、交通銀行、文化局(東拓ビル)、労働局、交通局(大連市役所)、大連賓館(ヤマトホテル)、遼寧省対外貿易局(警察署)、中国人民銀行大連分行(朝鮮銀行)、郵電局(逓信局)となっている。...( )内は旧満州時代の名称である。

 
左の写真は、中山広場でサラサラと筆を走らす見事な筆跡.......クリックしてください



日本への関心度

 私は訪中すると必ず現地の新聞を買うことにしている。見ても分からないことが多いが、と
きには面白い記事もみつける。だいたいは、道端で防寒服に身を包んだ老齢のオバチャンが売っている。1元(13円)もしない小銭で買える。8ページしかない1月24日付け大連日報の一面には、イラクでゲリラに捕まった中国人8人が解放された記事がトップであった。イラクは「伊拉克」であり、首都バクダッドは「巴格達(バグター)」と書く。読めなくても拉致されたときの写真が載っているから、日本人なら概ね予測はできる。

  4月は毎週末、反日デモに揺れた中国であり、日中関係は極度に悪化した。しかし相互の貿易額は巨大でありお互いに、いまさら引くに引けない状態なのは明らかである。日本の技術支援はまだまだ欠かせないことが、新聞の端々にも垣間みられる。
  政府・共産党主導のつまらない中国の新聞でも、隅々まで見るとたまには面白いことが目に入る。「電解水 殺流感病毒」(文字は日本漢字とちょっと異なる)などという見出し記事があった。出だしの部分は次のようなものである。

  日本《読売新聞》 日前報道説 : 日本三洋電機会社の研究人員経過試験後......能対非典病毒産生同様的効果...と続く。見てのとおり、「日本の読売新聞が先日報じたところによると、 日本の三洋電機の研究員が試験したところでは....電解水はインフルエンザに対しても、SARSに対しても同様の効果がある...」「電解水は一種の活性気成分を含む....それを霧状にして使用した結果は、インフルエンザへの感染力が99.5%低下した」などと書かれている。そうなのかな。そんなこと日本でも報道されなかった気がする。私が知らなかっただけかなぁ。

  その下には朝日の引用記事もある。
  日本《朝日新聞》 日前報道説 : 日本科学家近日発現、肥胖者患牙周病的風險約常人高出一半。「最近、日本の科学者が発表したところによると、肥満者は通常の人に比べ歯周病になる確率が1.5倍ほど高い」などと書かれている。文末をみると、これらの外電は全て新華社発となっていた。新華社が主導権を握っていることが分かる。
  浮世絵が描かれたホテルのパンフレット
  もう少し日本との接点を書いておきましょう。フロント関係者には日本語を話す人は殆どみかけないのに、ロビーや部屋の中には日本語を織り交ぜたパンフレットなどが結構置かれている。中国語に加え英語、日本語、ハングル文字で書かれたものが多い。

ホテルのパンフレット

  日本のイメージは、これがピッタリなのか。左記の写真は、ホテル内にある料理店の案内パンフレットである。表には「港」、「横浜港YOKOHAMAKOU」、そして日本料理と書かれている。ちょっと落ちるホテルなどでは、日本語の説明もおかしな表現が多い。ここは、さすが一流ホテルだ。全く間違いの無い日本語が書かれている。新鮮ないけす料理と美味しいふぐ料理、鉄板焼き、すきやき(神戸牛)........。個室はご希望の人数に応じて掘り炬燵式のお部屋を.....という具合である。別の店ではビジネス ランチセット メニューなんていうのもあった。10数品目あり、すべて38元(494円) 也。

  大連市内免税店のパンフレットも置いてあった。これは、どうも完全な日本人向けに思える。裏面をみると出入国カードの記入の仕方が書いてある。我々は外国人だから英文の出国カードに記入することになる。Family Nameには→で苗字と書かれ、具体的に「SATO」、Given Namesには「TAROU」である。Destination(目的地=次の渡航地)欄には「TOKYOU」となっていた。
  何かおかしい。たぶん佐藤太郎のローマ字読みのつもりだろうが。ここで決定的なミスを発見した。最後のサイン欄のとこ=SIGNATUREに「SATOTAROU」と記入されている。ここはパスポートと同じサインを記入せねばならない。日本人ならば、自分のパスパートの書名欄にローマ字で書く人はまずいないだろう。普通は漢字で書くはずだが。まぁ、これ位はご愛嬌というべきか。

  免税商品の説明は英語と日本語表示だ。化粧品のCHANELはと見れば、チャンスボデモイスチャーは$43(日本4,900円)、アンテウスは$58(日本6,500円)などとなっている。1ドルいくらになるかとみれば、前者は134円であり後者は112円になる。このような事例がいくつも見られる。ドルで売るだけなら問題はない。表示された日本円は参考程度と考えればよい。が、よくよく眺めるとUSドル、日本円、人民元、クレジットカードもOKというから、何かおかしい。日本円は信用がないのかなぁ。何か変だ。

  漢字の国・中国での外国製品の漢字表示は面白いものがある。OMEGA(オメガ)は欧米茄となり、RONGINES(ロンジン)は浪琴となる。BURBERRY(バーバリー)は博柏利であり、クリスチャン・ディオールは迪奥となる。100年も前のこと、外来語を苦心して漢字に変換していた明治初期の日本と同様のことが今、中国では行われているというわけか。




中山広場の旧ロシア人街
画像が変わる 中山広場に近い旧ロシア人街 画像が変わる



ロシア人街

  中山広場は、もっとも早くには「ニコラエフ広場」と呼ばれていた。1899年、ロシアの植民地主義者が大連に港と都市の建設をスタートした。都市建設の総監督となったサハロフは、近代西欧の「庭園都市」にあこがれる理想主義者であったそうだ。4・25平方キロにおよぶ市内に、彼は五つの広場を設計した。また、ニコラエフ広場を中心として十本の大通りを放射状に走らせて、それぞれの通りが他の広場と連結するという都市構造を決めたのである。(チャイナ・メルマガより)
これがそのまま、現在に残されている。

 日本の占領時代には、ニコラエフ広場は「大和広場」と改名されていたが、1945年、解放された大連は、偉大な民主革命の先駆者・孫文(孫中山)を記念するため、この広場を「中山広場」と改名したという。95年、大連市政府は中山広場の改造を行い、音楽をかなでる噴水などの人工施設を取り壊した。視界を広げ、中山広場本来の風貌を取りもどした。現在、中山広場周辺には多くの金融機関が増設されて、ここは大連の一大金融センターとなっている。

  中山広場に面した旧ロシア人街は、100年前の面影そのままを残しており、ロシア訪問の経験の無い私にも興味が湧く。
  その画像を少し記録しておきたい。ロシア人街にも中国人の姿はほとんど見かけない。まあ、売り子がいる程度だ。建物は立派だが、ロシア製の古い車や屋台などのほかに、ちょっとだけ昔、ブレジネフやモロトフ首相などが被っていたような帽子やマフラーなどをみかける。完全な観光客なら求めるであろうものも私には関心はない。歴史の異物として見逃していく。朝が早いからまだ開店用意もできていない店も多い。そんな殺伐とした光景であった。つぎはゆっくり見てみたいものである。



ロシア街区での露店の様子 ロシア街区での露店の様子1 ロシア街区での露店の様子2
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ガイドの話

  ガイドは、いろいろと説明する。我々は今回、4万円足らずで大連にこられたが、同様の日程で、中国人が日本に来る場合には15万円かかるという。その上、260万元(20万円)近くの保証金が必要とされる。共産党員であれば、安くいけるという。しかし、その党員になるには、せっせと党務に励んでも10年以上もの月日がかかるという。そして選挙権を得るには、更に3年かかるといの話である。そんな嘆き節を3日間、たっぷりと聞かされた。

  彼の好きな歌は「矢切の渡し」であった。何回か聞かされた。♪連れて逃げてよー......。中国では、夫婦間の問題が起きると、駆け込む婦人協会という組織がある。ここでは概ね男性側が負ける。男尊女卑の世界ではあるが、夫婦共働きが当然の中国では女性優位なことも多い。そんなことで、彼の大きな望みは、男性協会を作ることだと言っていた。

  二番目の話題は、旅行業者に入ってからの阿佐ヶ谷の話になる。吉野家の290円の牛丼の旨さになる。大連で吉野家を開店したいのが将来の望みともいう。「北国の春という吉野家」を開きたいそうだ。今、若者の好きな歌は千昌夫の「北国の春」が一番の人気だと説明する。日本人の8倍から10倍の人が歌うというのだ。これはどうかな。確かに流行したが、どうもウソの感じがする。

  いろいろ説明を加えてくれるが全てが本物ともおもえない。ガイドとは日本でも同じだが、ちょっと話半分位に聞いておくことが大事なようである。それにしても全土で53民族、1300もの言語があるというは本物であろう。広大な国土と多民族国家でもある。これら国民を一つにまとめるのは至難である。日本への留学生たちが途中から、専門科目をコーポレートガバナンス(企業統治)などに変えることが多い。それも理解できるところである。

所得格差の拡大 

  大連市内では年月を経た旧満鉄の社宅には、政府の役人などがタダ同然で住む。一方で道路の向かいには、日本円で5,000万円から1億円もする真新しい戸建て住宅が軒を連ねている。三方を海に囲まれた大連南部は最も景観のよいところである。これら海岸沿いの丘の上には超高層のマンションが並び立つ。この価格は1億5千万円という。
  日本人でも手が出ない高価な建物が売れるのである。一方、街中には粗末な身なりや顔つきで、一見してその日暮らしと判断できる人たちが目立つ。その中で超富裕層も増え続けている。
  多くの貧しい人たちの犠牲のうえに、中国は年率10パーセントもの経済成長を続けている。ケ小平の改革解放路線は確かに中国の発展をうながした。早く豊かになれる地域や人々の経済発展を優先した、その「先富論」の成功は、結果として、都市内部や都市と農村との所得の格差を一層増大させてしまったのである。

  外資系企業などが多い上海などでは、平均月収が最も高く3,000元(3万9千円)とも言われる。農村では200元(2,600円)にも届かない。農村に生まれたら、永久に農村生まれの「身分証明書」から逃げられない。江戸時代までの日本と変わらない。食うに困った人たちは、「民工」として農村から都市への出稼ぎに行かざるを得ない。食堂や足つぼマッサージなどに従事する若い娘などの給与は、1日20元程度と聞く。月収500元から600元にはなる。それを親元に送って生活を維持している、と聞いた。可愛い娘たちは、身を削って親を助けている。

  あまりにも大きい所得の格差は、日本の「農民一揆」のような暴動へと繋がることを予感させる。先の反日デモは目的が異なるが、抑圧された民衆の一つの発露でもあろう。政治レベルの話はやめておこう。最後に、結婚式を終えた新婚さんが大連の海水浴場で、海に向かって思い切り叫ぶ「誓いの言葉」をご紹介しましょう。

       
新郎: 「もし海の水が枯れても、岩が腐っても、私の心は変わりません」

       
新婦: 「天は年をとっても、地は老いふけても、私の情けは移しません」

  白髪3千丈の国、いかにも中国人らしい言葉ですね。(おわり)