和知裕善
序にかえて

 かつて刻字といえば、お寺や神社、それに大きな看板といったものが主でしたが、現代刻字は自書自刻、つまり自分の書に刻るという行為を附加して文字に立体感を持たせ、さらに豊かな表現ができればと念じている分野です。自分の部屋のインテリアとして、種々の用材・彩色を考え、そこにだけ存在する。世の中に一点だけという満足感を味わうこともできます。

書は三千年の歴史を持っています。書体や書風を考えますと、時代や個性によって無数ともいうべき変化があります。これを現代人の我々の眼と手法によって、現代の生活空間に活用し、融合させることができるとしたら、これこそ刻字の醍醐味でしょう。


                                                        

2011年10月6日

厦門(アモイ)で開催されました。国際刻字芸術展に10月6日より10日までの予定で参加いたしました。厦門は中国福建省南東部、台湾海峡に面する港湾都市、古くから貿易港として発展し17世紀ごろよりポルトガルなどの商人が往来、20世紀に入って華僑の流失港として知られた。到着後、専用バスにて学園都市・集美学村の見学をしてからホテルに入りました。

 
大学とグラウンド
 


中国の教育は日本と同じく、6:3:3:4制です。学園都市に相応しくよく整備された、街です。
















陳嘉庚の墓のある博物観を見学しました。ここでは三輪車の観光案内かありますね。街全体は綺麗だなと感じました。記念碑は階段状のどっしりとした石組みでできており、観光客が上り下りする最初の階段は12段で人生は若いときに苦労をしなければならないと、次の10段は成功しても過去を忘れずに頑張ること、次の8段は日本と戦争をした8年を刻み、次の3段は、中国共産党と蒋介石と戦った3年をあらわしているとのことです。


 人口は270万人で、1980年に経済特区に指定されこれが起爆剤となって、発展した市ですね
 
陳嘉庚公園平面図
 
日本との戦争8年
   道路には交通信号が非常少ないです。車は右側通行で車優先だそうです。信号は日本と同じものと、矢印とタイマーが表示される。信号です。また厦門市の条例で車は、緊急以外はクラクションを鳴らしてはいけないと定められ鳴らした場合は罰金を科せられる。今はルールが守られているので条例は廃止になりましたとの説明がありました。車ですが1500cc以下の車はあまり見かけませんでした。日本の車では、ホンダの車が多く見受けられ、続いてトヨタ車、次がニッサンとマツダですね。

緑が豊かな街ですね。冬の平均気温は15℃だそうです。雪も降らず生活がしやすいなと感じました。夜は、歓迎祝宴会がホテルレストランで行われ、例の「乾杯」10回前後行われましたが、私は、あまり無理は出来ないのでなめる程度で対応いたしました。中国流ではそのつど飲み干すといわれますが体が持ちません。

 


 10月7日   開幕式
 
厦門美術館 正 面 玄 関

 

正面 左  側

 


正面 右  側

 

  第二回国際刻字芸術大展賽のセレモニーが午前10時より開催され最後にテープカットで展示場内に入りました。各自自由に作品を鑑賞しました。まずは自分の作品がどこに展示されているか確認すべく早足でスタートしました。幸いすぐ見つかりまして写真を1枚








午後は厦門観博苑において、記念植樹が行われました。再びこの地を訪ねるときには是非成長の程を確認したいと思います。



夜は昨夜と同じくホテルのレストランで祝賀会が執り行われました。テイブル席はおなじく中国4人日本人4人韓国2人の計10名です。お互い言葉が通じませんのでコミュニケイションは図れませんが乾杯だけは呼吸が合いました。

  

 
「開幕式セレモニー」
 
「テープカット」
 

「記念植樹式場」


「記念植樹」


(小生の作品) 
 

  
「十年一覚」10年の長い間一つのことに取り組み自分の物にする


10月8日(土)世界遺産に登録されている土楼の見学

 
伝統的集合住宅
 
集合住宅内側
みやげ物屋が5店ほどあります


  バスにて華安へ、土壁と黒い瓦屋根の伝統的集合住宅、世界遺産に登録されている土楼の見学です。直径が73mでたかさが15mの4階建てになります。1階に台所、2階に倉庫、3〜4階が住まいです。窓は4階についているだけです。壁厚が基礎部で2m、上部で1mです、明り取りをして日時計を設備していました現在あるこの集合住宅は270年経過しているそうで、窓が少ないのは他民族との戦いに備えてつくられていたらしいです。
 
孔子の銅像




 この街中にあるお寺に「孔子」の銅像があります。恐れ多くも足元に及ばず写真を撮りました。孔子は中国春秋時代の思想家、魯の生まれ。儒教の祖。十数年にわたって諸国を歴遊し、治国の道を説く。弟子の数は三千人を数え、その思想は死後、弟子によって「論語」まとめられた。(前551〜前479)


 
 バスで行く途中の畑は平地はもちろん山を削りだんだん畑はほとんどがお茶です。1年に4回収穫があるそうです。春に新茶、夏に2回、秋に1回やはり新茶が一番美味しいそうです。時間がたてばたつほど味がよくなるそうです。約200種類栽培されております。

そのほかには、パイナップル、みかん、バナナも収穫があります。帰りにお寺を見学しました。障州にて、明清古街に立ち寄りレンガ造りの2階建ての町並みです。福建省には5000のお寺があるそうです。

川の流れに沿って両岸から山の中腹まで、お茶畑が広がっております。この土地で生活する人々はお茶産業とも言いますか、すべての人がお茶栽培のようです。背丈は1mぐらいから50cmぐらいで年4回の収穫行われているようです。



10月9日(日)市内見学
 



 専用バスにて、厦門市内見学とコロンス島の鼓浪崎国際刻字芸術館を見学、この館に永久保存されると聞きました。二階建ての瀟洒な建物です。刻字のみ展示してあります。
中国、韓国、日本の作品が常設展示ですね。私の先生の作品もありましたので記念写真を撮りました。最後に南普蛇寺を見学しました。歴史の深さを感じます。一番奥の建物は修復工事中でちょっとだけ修復の様子を見ることができました。